*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

~私の自己紹介と好きなものを好きな理由、私の言葉~

この記事に目を通してくださる方がいるかわかりませんが‥

__________________________

 

2018年、4月が始まりブログ開設から1年以上経過したので

改めて自己紹介をしようと思います。

 

白波 ゆめ と申します。

 

*年齢*

今年の1月に 21歳 になりました。

20+1年目です。

 

*性別*

女 です。

 

*趣味*

写真・イラスト・作詩 or 作詞・歌 etc.

 

*好きなこと*

・写真を撮ること

・歌を歌うこと

・お散歩をすること(ちょっとした旅をすることも)

・文字を綴ること(言葉を紡ぐこと)

・ギターを弾くこと(アコースティックギター

・絵を描くこと(主にイラスト)

・勉強すること(興味があるのは、特に語学)

 

少しの自己紹介?と趣味や好きなことを書きだしてみました。

 

 

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好きなことが *好きな理由* (写真を撮ること・文字を綴ること)

 

 

「写真を撮ることが好きな理由、写真に残すことを大事にする理由。」

 

 

写真を撮ることは、街の中や自然の中で景色や見たものを一枚に切り取ることだと思っています。

私は、写真を撮るときは、フィルム一眼レフカメラNikon 二種類と Canon 二種類)とミラーレスカメラ(FUJIFILM X-E1)を使い分けてます。

 

私は特にフィルムカメラが好きなのですが、

好きな理由は

 

”一枚一枚の写真を大切にできるから’’です。

 

 

フィルムをセットしてからフィルムを巻き上げて、

自分で絞りやシャッター速度を決めて、

ピントを合わせてボタンを押してシャッターを切ることで‥

”一枚の写真を撮ること” になります。

 

一枚の写真を撮るまでの工程も、フィルムの現像からプリントされて一枚の写真になることも、一枚一枚が大切なものになります。

 

 

 

写真に残すことは…その瞬間や残したいものを閉じ込めて未来にも残すこと。

 

見たものも、居た場所も、行った場所も、会った人の事も、会った人の顔も表情も、どんな人だったかも、どんな場所だったかも、日常にありふれてる景色も…

 

私は、なんでも思い出せなくなる。

だから、記憶に閉じ込めたもの、思い出せなくなるもの…

それから、記憶に鍵を閉めて思い出せない大切なもの‥

 

そういうものが、手元に残るものになったら

きっと自分の今いる場所からもっと遠くの未来にも残るから。

 

私の記憶そのものになってくれるから、写真は私の人生の一部になってくれる。

 

だから、私は写真を撮ることを大切にしているのです。

 

 

 

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「文字を綴ることが好きな理由、言葉を残すことを大事にする理由。」

 

 

文字を綴ることは、私の気持ちも自分自身の思いも、私の過去の記憶も、

私が見た景色や光景、そういうものを私が何もかもを忘れてしまっても、

いくら思い出そうとして思い出せなくても…

 

文字として残しておけばずっと私の人生の記憶の一部にもなってくれる。

 

それから、単純に文字が好きだから、自然と文字を綴って残すことも、好きになったのです。

 

 

言葉を残すことは、とても"大切なこと" だと私はいつもいつも感じています。

 

「考えた」というより、そんなふうに自分の身体自体が訴えているんです。

 

言葉は伝えるためにあって

言葉の中に意味を持たないものなんて一つもない…。

 

そんなふうに一日一日過ごしている中で感じています。

 

自分と誰か

その関係に言葉は不可欠、中には言葉より行動に起こすことのほうが大切な時もある。

 

それでも、行動で伝わらないことだってたくさんあって、どんな言葉を並べても伝えたいこと伝わってほしいことが伝わらないこともあります。

 

それでも、こんなふうに文字を並べて言葉を残すことに意味はあると私は断言してしまいます。

 

声で伝わらないこと、声に出しても伝わらないこと、伝えたいことが溢れ出しそうなのに誰にも話せないことが多いから

 

私はこうして言葉を綴ることをやめられないでいます。

 

明日、明後日、明々後日、もっともっと先まで生きられるとしたら、その未来の自分にも伝えられるように、"今の自分"の言葉を残して、大切に大切に取っておきたいのです。

 

忘れないように..残さないで後で悔やむことがないように。

 

私は誰かに何かを伝えたいという気持ちが強い人間だと思ってます。それは、ずっと前から...

 

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ここまで読んでくれた人がいたら

 

読んでくださってありがとうございます。

 

ここまで書いた私と読んでくれた方に

お疲れ様でした...

 

もしも、この記事を読んでくれた誰かに何かが伝わりますように、、

 

もしも、私がこの記事を振り返って読む日が来た時、何かを感じ取れることを願って...

 

 

また書きます。

 

白波 ゆめ

原爆の日と私の言葉

 

原爆の日

 

https://instagram.com/p/BmPo4GlDzuH/

 

 

Instagramに詰め込みました。

まだまだ伝えたいこと

届けたい思いがたくさんあって

頭の中を渦が巻くように

溢れかえっています。

 

Instagramに載せるために

何かを考えてほしくて

考えるきっかけになってほしくて

 

iPhoneと向き合いながら文字を打つのに

およそ40分

メモをスクリーンショットで画像にして

スクエアのサイズにして

Instagramに載せるまで1時間もかかった

 

込み上がる言葉と言葉を打ち込む動力と

書き留めたい衝動と一緒に涙が止まらなかった

 

恐ろしかった

ただただ恐ろしかった。

 

両手でも数えられないくらいの人の命が奪われた事実とそれを人間がした事実に

目が眩むような恐ろしい出来事で

頭の中がぐるぐるたくさんの言葉で埋め尽くされて苦しかった。

 

それを吐き出したかった

その吐き出した言葉で誰かに何かを考えてほしかった

 

やっと欲すること、

渇望することが出来ました。

 

 

今さらだけど

私は私の命さえも重いことに気づきました

 

苦しいと叫んで

逃げたいからと

死にたいという言葉をこぼして

 

それでも命にしがみついて

命に縋って

奪われないように

奪わないように

なくさないように

離さないように

大切に

大切にしなきゃ

 

そう思えた

 

一日生きながらえるのも

食べ物を探すの

食べるのも

お腹を満たすのも

喉を潤すのも

 

何千何万の人が生きることに

必死だった

戦時中のもう何十年も前の時代。

昭和の時代。

日本が戦争の真っ只中だった時代。

 

今年の3月25日にInstagramに書いた言葉

もし気になったらでいいのでリンクから覗いて見てほしいです。

 

https://instagram.com/p/Bgvpu6FDRje/

 

 

どうか届きますように

誰か一人でも何かを考えるきっかけになりますように。

 

原爆の日 がきっかけで

生きていかなければと思えた。

 

不本意だけど、原子爆弾が投下された事実を知った後世の私は

命の重さと命が奪われたことへの恐怖を知ることになった

 

自分の命のこと 

誰かの命のことを考えるきっかけが

亡くなった人の命 だった。

 

 

自分は生きているのに

亡くなったあの子はもう今の時間を生きられない。

 

自分はここで呼吸をして

椅子に座ってiPhoneに文字を打ち込んで

脳が動いていて体も動いていてここに存在しているのに

 

あの子はもう ここにはいない。

 

あの子の存在が忘れ去られないように

私は 文字を書き続ける

 

言葉を綴ることをやめたくないのは

あの子を忘れないため。

 

人の死を忘れないため。

 

 

 

もしここまで読んでくれた人がいたのなら

文字を残した意味が成り立ちました。

ありがとうございます。

 

 

何かが伝わるといいな。

 

なんて望んでみます。

 

明日になっても明後日になっても

そのもっと先の未来が訪れてもこの言葉たちが生きますように。

 

 

白波 ゆめ

最後の夏と矛盾だらけの劣等感の塊と私の独り言

書いても意味の無いことかもしれないこと。

 

そんなことを書こうと思います。

 

そんなことを書いたら読まない人も逆になんだろうと気になる人もいるのかも知れません。

 

以前のように長くなると思います。

よかったら最後までお付き合いください。

本当に本当に些細なことですが、読んでいって何かが伝わることを願って...

 

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とても懐かしい季節を迎えた

白波 ゆめです。

 

とても大切なはずの季節。

嫌いというには涙が出るような季節。

 

そんな「夏」の話。

今のうちに、忘れてしまわないように

書いておきます。

 

夏という季節が自然に訪れた頃

人は、皆は何を思いますか?

 

学生さんは

夏休みが来る時期。

 

宿題が多くて、面倒だな。なんて思いながら夏休みに入る前の一学期最後のホームルームで

夏休みにしたいこと  夏休みのうちに行きたい場所を思い浮かべてるのかな…

 

誰とあの場所に行きたい。

夏を満喫したい。

夏休みに出される課題は

出来ればあんまりしたくない。

 

そんなふうに 楽しみ と 隣にいる嫌な感情を抱いているのかもしれない。

 

社会人になれた人たちは

仕事をこなすことをしながら

例えば、もし休暇を取れたとしたら

実家に帰ろう。だとか

家族と過ごそう。だとか

友達と過ごしたい。だとか

 

もしかしたら、私の妄想やイメージでしかないのかもしれないけれど

 

そんなふうに、

人はプラスなこと と マイナスなこと。

バランスをとって毎日を過ごして、生きてるのかな。

 

そんな中 私は、必死に毎日やり過ごして

生きています。

 

「病と障害」

いらないと思うようで、実は必要なものを抱えて...一日一日乗り切るのに精一杯。

 

夏は、正直苦手です。

嫌いだ、、って言いたくなるくらい。

私は夏に向いてない身体で

夏を過ごすには難しい精神状態です。

 

そんなこと、言ったって意味ないのかもしれない…全部病気と発達障害と自分の身体のせいにしても意味がないのかもしれない。

 

それでも、もしかしたら 夏を乗り切るのに、生きることに苦労している人がいるかもしれない。

 

いなかったらいなかったでそれは私はそれ以上にいいことはないと思っています。

 

命に縋っている そう見える自分が

正直言えば、嫌で嫌でしかたないです。

 

それが何故かわかってくれる人はいない。

 

なのに、考えてしまうのです。

苦しんで生きているのは自分だけではないはずだ。なんて...

 

私は矛盾だらけだ

周りにたくさんの劣等感を抱きながら

周りを大切にしようと

大切にしたいと思ってしまう。

 

それは後悔ばかりしてきたから

その時の感情に任せて

言葉を吐いて傷つけて

思ったことを吐き出して

不満を溜めたバケツから水みたいな言葉をぶちまけて

傷つけて、それが理由で傷つけ返されて

それで今の自分がいるから。

 

だからか、周りに劣等感を抱き続けてるのに

今では何も声で訴えかけれなくなった

家族に声で言葉を使って伝えようとするとき

すぐに諦める。伝えることを諦める。

 

伝えようと頑張った

それでも

否定されるのに慣れて

伝えることすらやめようとして結局文字で

この場所に言葉を綴ってる

 

発散させるように

言葉を散らして

頭の中で巡って巡って止まってくれない言葉を散らしている

 

誰にも届かないと思うけれど

それでも願ってしまう

誰かに届いてほしいと。

 

それでも、届かない

虚しくも家族にさえ届かない気持ちは

行き場所を無くして

私を壊していく。

 

夏は私を追い詰めた。

 

私は暑さにやられ

体調を崩す

 

夏には

蝉の鳴き声が

聴覚過敏の私を苦しめる

 

そして

暑さで身体は動きにくくなる

したいことがあったとしても

やらなきゃいけないことがあったとしても

摂らなきゃいけない水分もとれない

食べなきゃいけない食べ物も食べられない

 

だから気持ちも病んでいく

身体が上手く気持ちについて来てくれないと身体だけ動かず気持ちだけ考えだけ働いて

自分が病に侵されていく

 

少しずつなにも出来なくなる

そんな私は人に

「なんでなにも出来ないの?」

そんなふうに問われる

「これなら出来るでしょう?」

そんなふうな提案をされる

結局、できないと分かると

 

優しさに嫌味も混ぜて

「あなたができないから

私がやってあげる」

 

私はなにもできない自分と出来ている人を比べて劣等感に苛まれていく

 

それが今の私。

 

どんどん築いてきたものが

壊れていく。それを感じている。

 

だから、きっとこうしてSignを送っているんだと思うの。

 

 

最後の夏、平成最後の夏。

もうすぐ平成が終わる。

終わりに近づいていく。

そんな夏の日に

毎日思うこと。

 

太陽が昇って一日が始まって太陽が沈んで一日が終わる

 

それは繰り返されるけれど

今過ごしている  「今日」 は

 

いつだって最後の日。

 

一日の始まりが一日の終わりになって

0:00になった頃

もうその日は二度とやって来ない日、過去になる。

 

当たり前だった夏も 春も 冬も 秋も

名前は同じ移り変わる季節でも、

一つ一つ違う季節。

一日一日違う日。

一年一年違う年。

 

だからいいのかもしれない。

それが毎日毎日毎年毎年いつもいつも

同じ日々だったら

 

どんなに苦しいか

飽き飽きして

きっと生きることにうんざりする。

 

それでも変わっていくのは時間と季節と時代だけ。

 

 

 

最後だと思うまで私は特別なことをしない人間だな。と思い知らされる。

 

最後だから一緒に写真を撮ろう

最後だから一緒に出かけて楽しもう

最後だから一緒に見たいものを見に行こう

 

そういうことすら私はできない。

何をするにも

する前から諦めた、諦めている。

 

だから、変われないのだろうか

 

分かっているようで分かっていない

頭の知識としてはあっても

実感しなきゃ

何も分かってるなんて言えなくなった。

 

最後と知らされているのにもかかわらず何も出来なくなった自分に終止符を打ってしまいたくなる。

 

 

マイナスの私はプラスにはなれないのだろうか

もう諦めるべきなのだろうか

生きることを頑張っても

褒めてくれる人がいたら

褒めてあげられる自分がいたらどんなにいいだろうか

 

いつまでもいつまでも変わることが出来ないのだろうか

 

周りを見渡して

周りの目を気にして

周りの意見に従って

周りのせいにして

周りへの劣等感で押しつぶさそうなのは

私がそうさせたからなのだろうか

 

可哀想だと言われるのには遠すぎる

私の現状。

消えない 消えない 私の気持ち

止まってほしいの 私の思考。

 

それでも

矛盾だらけで

生きたいと叫びそうになってしまう。

 

 

 

ねえ、私は生きていていいの?

 

ねえ、お母さん

私はどうして生まれさせられたの?

 

ねえ、お父さん

私はどうしたらいいの?

 

ねえ、お兄ちゃん

私はどうしてお兄ちゃんみたいに生きられないの?

 

ねえ、お姉ちゃん

私はどうして生きてるのに死んでるの?

 

誰にもわからない問 を投げかけてはやめた。

 

終わらない私の思考。

消えない劣等感の塊。

 

ねえ、夏は私を壊していくのはどうして?

*シャッターボタンを押した私と君、私の言葉*

記憶が戻りつつある今日このごろ

はてなブログのアプリを見つけてまた綴っていこうと思い始めました。

 

白波 ゆめです。

 

閉じ込めて過去にする

過ぎ去る前に閉じ込める

脳に記憶できない瞬間を時間を

忘れたくない、その一心で忘れないように。

 

私はそんな写真を撮っています。

 

もう一度戻るものなら私は撮らずに

通り過ぎてしまうかもしれない。

だから、もう二度と出会えない瞬間を

私は撮らずにはいられない。

 

忘れてしまうから

それがあった事も

見たこともその時、感じた気持ちすら

思い出せないところに行ってしまう。

 

だから、私は写真という思い出を撮ることをやめられない。

 

少し話を逸らします。

だいぶ昔のことの話。

 

最近、小学生の頃に''写ルンです'' で撮った写真を集めた「思い出のアルバム」と書いた薄いアルバムを何冊か見つけました。

 

それを眺めて

自分の感性はその頃から変わってないな。

そんなふうに感じました。

 

ローアングルで撮ること

撮りたいものを大きく見せるように撮ること

 

一つ共通点に入らないのは

人や動物を撮ること

(この頃は私の姉や友達、犬を撮っていましたがいまではほとんど人を被写体にしていません。)

 

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シャッターボタンは いつしか

過去への別れの合図になりました。

 

過ぎ去る瞬間 過ぎ去る時間 過ぎ去る情景

全てに 別れを告げるためのボタン

 

過ぎ去ったものを閉じ込めて日記を書くような感覚に似た、そんな優しいようなどこか寂しいようなシャッターボタンを押す瞬間

 

その情景に いつも「サヨナラ。」

そんな言葉を込めて、もう出会うこともない瞬間を撮ります。

 

残したくても残せない感情も情景も、

全部写真一枚一枚に閉じ込めて...

 

私は、自分のカメラで色々な気持ちを込めた写真を撮らずに別れたら

その人の顔も

その人と出会ったことも

その人の全てを忘れて思い出せなくなります。

 

そんな中で あの子 は覚えていられる。

会った日にシャッターボタンを押すたびに

その瞬間に 別れを告げた。

 

もしかしたら、会うことすらここで この日で終わりになってお別れになる そんな気がしながら

とにかくシャッターを切った。

 

あの子と過ごした一日はその日が 最後になりました。

写真を撮りながら過ごすのは

その日が最初できっとその日が人生で最後でした。

 

もう思い出せなくなりそうになりつつあります

それでも

すごく楽しくて

すごく嬉しくて

すごく悲しいような 寂しいような

そんなそんな素敵な日で終わってよかった。

今でも ありがとう のひとことで終わる日。

 

もうごめんね も ありがとう も言えない

サヨナラさえも言えない

そういう別れでした。

 

覚えているうちに

消えてしまわないうちに

あの最悪で最高な夏に出会えた君に

今ここで こんな場所だけれど

 

届かない場所だけど

届きますように。

 

君の笑顔 君の話すこと

君の声 君の思うこと

君が書く文字の形

君の歌声 君の話してくれる考え

君の横顔 君の悲しい顔

君の寂しそうな笑顔

ずっとずっと笑ってあの頃の私と君の時間が

 

 

本当に大切です。

本当に大好きな友でした。

 

ありがとう ありがとう

ごめんね、覚えてて

ごめんね、これから消えていきそう

ごめんね、ありがとう

 

 

 

さよなら。

 

 

もう届くはずのないメッセージ。

 

もし読んでくれた人がいたらありがとうございます。

 

もしあの子が読んでくれたら

読んでくれてありがとう...

 

あの子以外に本当に伝えたいことをまとめると

 

 

今 という時間を

過ぎ去る前の瞬間を

そこにいる 当たり前にそばにいる

大切な人をありったけの気持ちで大切にしてください。

 

別れが来ないと信じても来てしまうお別れの時に

どれだけその時間が大切だったから思い知る。

 

だから どうしても

人も言葉も今ある全てに

ありがとうって言えるようになれたら

毎日が嫌いじゃなくなります。

好きになるかもしれないし

嫌い から 普通になるかもしれないです。

 

大切だと思うものから

大切だと伝えてください。

 

少しずつでも

ありがとうを伝えて

大切にしてください。

 

 

周りを大切にするには

 

自分が壊れては 周りを大切にできない。

 

だから

 

まずは頑張って生きている自分がいたら

ただ大切にしてください。

 

壊れやすいのが人の心です。

 

SOSのサインを見つけたら

誰であれ

自分でも友達でも家族でも

知らない人であれ

自分が強くなれば、ちゃんと周りに優しくできることを忘れてないでください。

 

弱いのは強くなるため。

 

弱さを思い知るのは

強さを知るため。

 

そう思うから、どうかどうか

周りの人や軽んじること。

傷つけること。

そういうことがあったとしても

自分を責めても

苦しくても

 

少し先の未来でもいいどこかで大切に思って

疲れたら休んでもいいんです。

どうか最後の最後まで諦めずに生きてください。

 

このブログを読んでくれた人のなかで一人に

これを振り返ったときの自分にも

届きますように。

 

長くなりました。ごめんなさい。

 

もし、ここまで一つ一つの文字を読んでくれた人がいたら

読んでくれて本当にありがとうございます。

 

また書けるか分からないのですが

伝えたいことを書き留めたいと思った時に書きます。

 

書きながら泣いたら疲れました...笑

 

読んでくれた方、お疲れさまでした。

 

では、またいつか。

 

白波 ゆめ

私の願いと私にとっての幸せと私の言葉

 

 

お久しぶりです。

 

記事を公開せずに一ヶ月くらい経ちました。

 

 

今回は私の願いを私なりの言葉で綴ってみようと思って、はてなブログのアプリをひらきました。

 

これを読んでくれる人がいれば

その人になにかが伝わればいいな。と思ってます。

 

 

いつものように長くなってしまいました。

それでもいいよ。読んでもいいよ。という方は

 

スクロールして読んでくれると嬉しいです。

 

 

 

長いと思うので、暇なとき、時間が空いている時、読もうと思ったときにでも、読んでくれたら嬉しいです。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

私の願いは欲張りなことばかり。

 

 

みんながそれぞれ幸せであること。

 

それぞれの小さな幸せの種を見つけられるようになれること。

 

 

 

あなたが泣いてしまっても

あなたが笑ってくれること。

 

 

あなたが泣けなくなっても

あなたが泣いてくれること。

 

 

悲しいよ、寂しいよ、苦しいよ、辛いよ…と

 

自分の周りの人に本当に信じられる人に

信じられる人がいなかったら、

信じようと信じたいと思える人に

 

少しでもいい。ひとことでもいい。

弱音を本音を吐いてくれること。

 

もちろん無理に吐くのは、それはそれでストレスを感じてしまう、無理やりじゃないの。

自分のペースでいいの。

 

 

 

ただ、そのまま

頭の中にその言葉を一つ一つ、

心の中にその気持ちをひとつひとつを

 

 

溜めこんで抱え込んだらどうなってしまうのか

私は身をもって知ったからこそ

 

 

伝えたいことば。

 

 

 

こぼした涙を 溢れだした涙を

できることなら無理やり止めようとせず

 

自然に頬に伝っていく涙を

できることなら無理やり押し殺さずに

 

涙が出たならその涙と一緒にその気持ちを

流すことができること。

 

誰もが誰かの優しさに思いやりに気づけるようになること。

 

誰もが誰かに ありがとう と ごめんなさい を言えるようになること。

 

 

 

 

私の願いは

 

みんなが生きていること

あなたが生きていること

 

欲をいえば、みんなが あなたが

自分自身の命を

全ての命を大切にできること。

 

みんながあなたが自分自身の心を

他の人の心を大事にできること。

 

 

小さな幸せの種を見つけることができたら

それをすぐにじゃなくてもいいの

自分のペースでその種を育ててあげられること。

 

 

 

 

例えば、私にとっての幸せは

 

これ大切な人たちに見られたら少し恥ずかしいけれど、本当に嘘偽りなく言うと

 

家族や友達、大切な人たちが生きていてくれること

 

大切な人の声をちゃんと聞けること

 

大切な人の言葉を理解できること

 

大切な人が言葉で思いを伝えてくれること

 

大切な人が苦しんでるとき、寂しいとき私が支えになれること

 

 

 

 

好きな食べ物や一日の食事ちゃんと心の底から美味しいと感じながら食べられるとき

 

朝から晴れてるとき

朝を迎えられたこと

夜ちゃんと眠れたとき

夜が明けるときも

 

最近は、なんとなくしあわせだなぁ、と思えるようになった。

 

 

 

昔は朝が来ることが怖かった。

朝が来てまた一日が始まることがとても怖かった。

 

 

昔は夜になるのが怖かった。

 

夜になると寂しくなったり、悲しくなったり、部屋も外も暗くなる分 ネガティブ思考がいつもより増して泣いてばかりになってしまうから

 

昔から寝つきが悪かったらしいけど、

一晩眠れないことが増えた。

いつからか不眠症になっていた。

 

 

ちゃんと眠れずに朝を迎える

カーテン越しから外が明るくなっていくころ

 

ああ、また眠れなかったな

 

眠れても眠りが浅くて

数時間間隔で目が覚めるから疲れなんてとれなかった。

むしろ、心身ともに疲れが溜まった溜まっていくいっぽう。

 

 

 

だけど、今はその経験ができて本当に良かったと思えるようになれてる。

 

 

 

自分が弱いことを知った

 

自分以外の同じような経験をしてる人がいることを知れた

 

当たり前なんて絶対ないということに気づけた

 

無理しすぎると身体も心もちゃんと悲鳴をあげてSOSのサインをくれる

 

 

そういうことに気づけたとき

初めて自分が経験してきたすべてに意味があったと思えたの。

 

感謝の言葉を伝えることも、

感謝の気持ちを持つことも、いまではできるようになった。

 

 

 

今苦しんでるのは

自分が生きる意味を見つけるため。

いい意味で誰かのためになること。

 

そうやって信じて、

周りの存在に生かされてきた。

 

 

だからこそ、大切な人、これから出会える人たちのために、何かをしたい。

 

支えてくれた人

巡り会えた人

離れていった人

出会えたみんなに

 

言いたい言葉は

 

たくさんあるけど、

 

 

一言だけ言うなら。

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

もうひとこと言うとしたら

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 

そう伝えたい。

 

 

 

これを読んで、もし、うちが綺麗事を言ってると思った人がいても、それはそれぞれ考え方も受け取り方も育った環境も経験してきたことも違うからそれはそれでいいと思う。

 

 

悩んで苦しんで迷って毎日泣いて葛藤して

心が傷ついたり、傷んだり、

 

嫌なことを言われて傷ついたこともあった

 

ただ、死にたいと逃げたいと思ったことも何度もあった

 

 

 

それでも、

 

 

出会って関わった人、ひとりひとり

一人でも欠けていたら

 

今の自分は ここにいない。

 

 

 

だから、ありがとう と伝えたい。

 

 

ごめんなさい と伝えたい。

 

 

人を傷つけたこともあった、

どのくらいの人を傷つけたのか分からない。

 

どのくらいの人にごめんなさい。と言えなかったんだろう。

 

 

 

 

そんなふうに考えれるようになった。

だから、今まで逃げたかったこの世界も生活も自分からはもう捨てたくない。

 

 

少なくともひとりひとりになにかを返せるまでは…

一人一人のなにかの支えになれるまでは…

 

 

 

 

 

 

もし、最後まで読んでくれた方がいたら

 

こんな長文読んでくださってありがとうございます。

読むの本当にお疲れさまでした。

伝えたいことが少しでも伝わったらいいな。。

 

今日はこの辺で…また書きますね!

 

白波 ゆめ🌟

 

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私の葛藤と私の生きていて伝えたい言葉

 だいぶ長くなってしまったので

 

読もうと思ってくれた方は

暇な時時間の空いている時に読んでいただけると嬉しいです。

 

 

少しでも。ほんの少しでも伝わりますように。。。

 

 

まずは私の話から

個人的なことも触れてますが、、

 

 

伝えたいことを伝えるためにかきました。

 

 

 

 

 

約10年ほど前から

何度も 何度も 頭の中に浮かぶ言葉は

 

 

逃げたい ここから脱げ出したい

どうして ここから居なくなることが許されないんだろう、どうして自分は生きてるんだろう?生かされてるんだろう?

そんな言葉ばかり、そう疑問に思うと共に

 

生と死のことを何度も何度も行き来して考えて悩んで迷って、それでもここまで命を繋いできてくれて人がいることに感謝の気持ちを抱いてる。

 

 

 

分かってるんだ。

 

この世に存在する意味がなきゃ

この世に存在し得ないことくらい

 

 

それでも

現実は辛くて苦しくてもがいて足掻いて

逃げ出したくなる。

 

 

きっと誰もが闇を抱えてる。

きっと誰もが光を求めてる。

 

 

そんな気がしてならないの。

 

毎日病気、、いや、自分との闘い。

 

葛藤して、

泣いて、

悩んで、

溜め込んで、

抱え込んで、

殻にこもって、

ストレスに耐えきれずに

 

出てくるのは

 

脱力症状。

 

何度も倒れて今月は救急車に2回運ばれてCT検査とMRI検査をした。

 

異常はなかった。

 

それでも、迷惑をかけた。

 

その罪悪感だけで押しつぶされそうだった。

 

その日は眠れなくて3:30頃外に散歩に出かけて考え事をしながら泣きながら、

 

帰る途中駅の前の交差点の近くで

脱力症状が出て身体が地面に叩きつけられた。

 

何度も立とうとして、ポールに掴まって立ち上がれてもまた転倒。それを何度か繰り返してから、頭をコンクリートに打ち付けられてから初めて母親に助けを求めた。

 

出来れば自力で帰りたかった。

皮肉にも脱力症状が

自分が無理をしてると教えてくれる。

 

それでも倒れる度

痣や傷が増えていく。

 

頭を打って脳には異常はなかったけれど

 

頭痛が前よりもひどくなった。

 

出かける時は、

車椅子。

イヤホン、またはヘッドホン。

音楽プレイヤー。

iPhone

お薬。

 

これが無ければ、

倒れると同時にパニックに陥ってしまう。

 

 

正直、どこにもいたくないという気持ちもある。

 

聴覚過敏が生きにくくする。。

 

いつも音に怯えてる。

 

生活音でさえ不快だと怖いと感じてしまう。

好きな音楽と落ち着く音波とか声とか

 

脱力症状で生きにくくなった。

 

一人では生活することが出来なくなった。

介護してもらうことも増えた。

 

鬱だけで生活がままならない。

 

誰かと会話するのさえも怖くなるときもある。

 

数人いる人たちが横を通り過ぎるだけで、人が沢山いる街に行くだけで怖くて恐怖感に苛まれる。

 

 

でも、

音楽が好きでよく聴いているの。

歌うことも歌を聴くことも

言葉も言葉を紡ぐこと綴ることも好き。

お散歩も好きで歩くのも自然の風に触れるのも小さな植物たちに出会うのも好き。

笑うのも誰かとおしゃべりすることだって好き。

 

 

自分にとっていいこと。

ハッピーなこと。

ラッキーなこと

好きなこと。

楽しいと感じること。

ポジティブな考えを持つこと。

 

 

自分にとって悪いこと。

嫌なこと。

不快な思いになること。

不幸せだと辛いと思うこと。

ネガティブな思考だけで

物事を見てしまうこと。

 

 

 

きっとみんなあること。

 

自分にとって

 

いいこと

 

 

悪いこと

 

 

 

でも2、3年前から思い始めてるの。

 

嫌なことがあるのは、自分が成長するためのきっかけ、機会、チャンスなのかも、、って。

 

 

辛いことがあるのは、自分が変わるためのきっかけであって、自分が変わる、成長するチャンスなのかも、って。

 

 

以前、ある人に言われた言葉があるの。

 

辛いことがあったらラッキーなことだと思えって。

 

最初は、

 

そんなの思えないよ。

そんなの出来ないよ。

そう決めつけた。。

 

 

 

 

 

でもやっぱり出来ないって決め付けから物事を見てしまうのはなんだか悲しい。

 

 

 

生きてる中で

逃げたい。

死んでしまいたい。

 

そう思うこと、そう考えてしまうことは、沢山あったし、今でもふと思ってしまうことがある。

 

 

優しい温かい感情が溢れるように

 

悲しい冷たい感情が溢れてくることがあるの。

 

その感情は紙一重なのだと思うの。

 

 

いいこと と 悪いこと

 

長所 と 短所

 

いい所 と だめな所

 

 

そういうのって

ふたつで一つなんだと思う。

 

 

だから、

死にたいという言葉が浮かんでしまうのも

生きたいと願うのも

 

二つで一つ。

 

 

きっとね、生きてるって

 

自分独りでは

出来ない事。

 

世界中の人がいなきゃ今こうして自分は生きてない。

 

例えば、外国産の食べ物、、バナナでもいい、

 

バナナは大抵南国から輸入されてきて店頭に並んでる。

 

例えば、お店や会社で働いてる一人一人がいる。

 

一人一人がそれぞれ抱えてることはたくさんあると思うの。

 

でも、食べ物や欲しいものを買うには店の店員さんやそれを作ってくれる人、並べてくれる人、レジ打ちして商品を計算してくれる人。

 

 

 

一人でも欠けていたら

私は食べたいものも欲しいものも買えないし、着たい服も何もかも手にいられない。

 

 

一人で自分がもし、必要ではない人間だと思っていたとしたら、

 

私は、そう思ったこと感じたことがあるから

何も言えない。

 

でも願ってしまう。

 

生きていて。と

 

死なないでいて。と

 

命を大切にして。と

 

食べられず長く生きれない人も

 

病で長く生きられなかった人もいる。

 

自分は食べられるし、雨風しのげる家もある

好きなものも部屋にある、好きな趣味だってあるしできる。

 

病を抱えて命を大切に抱えて

一日一日一生懸命生きている人も

 

世界中には沢山いる。

どれだけ数の人いるのかは分からないけれど、それでも、私は恵まれてるのだと。

 

見下すわけではない。

でも、そういう人もいるということ忘れないでほしい。

 

生きていられるだけら生かされてる限り生き抜こうと思える。

 

力を勇気をもらえるから。

 

ただ、誰一人として必要とされていない人は居ない。

 

私の場合は

自分が自分を否定してる。

 

ここにいて、

この場所に座ってることを

否定しようとする自分も

 

ここにいて、

この場所で座って

ただ伝えたい言葉を綴ってる自分を

肯定しようとする自分もいるの。

 

 

ネガティブもポジティブも

一緒にあったっていいじゃないか。

って最近思うの。

 

ネガティブな言葉を聞いて

暗くなったり悲しくなるのは良心や優しさを持っている証拠。

 

ポジティブな言葉を聞いて

明るくなったり嬉しくなるのは感情に素直になれてる証拠。

 

 

 

そう思うの。

 

最後に、

辛い時はラッキーだと思えっていう言葉の深い意味は、

 

辛いことや苦しい思いをしてるときには

周りの優しさや温かな気持ち、誰かの心の温もりを感じれるようになれる。

 

苦しい思いをした分、

同じような似たような経験をした人や苦しんでるひとに伝えられる何かを得られる、、それから、今度はきっと誰かのために何かをできるようになる。

優しくなれる。優しさを繋げられる。

 

そういう意味で

辛いときはラッキーだと思えって言われたんだなぁって今では実感してます。

 

 

 

なんだかだいぶ長くなってしまったし、まとまらない言葉ばかりですみません。

 

 

もし、もしも、ここまで読んでくれた方がいたら本当に読むのお疲れ様でした。

読んでいただけて、ありがとうございます。

 

少しでも1mmでも

なにか伝わってほしい。

その一心で1時間書いてました。

指が疲れてしまいました。

 

 

 

最後に海の砂浜に生えてた植物。名前はわからないけれど、生命の強さを感じたので衝動で撮りました。

 

 

また書きます。では

 

白波 ゆめ でした🌟

 

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君のための別れ、私の思いと君への言葉

 

 

 

サヨナラ というには
現実味が湧かない

 

この別れは

 

君のため。

 

 

 

いくら寂しくても


いくら悲しくても


いくら苦しくても

 

心が辛くても
胸が痛くても

 

君を止める権利は私には無かった。

 

 

大切な友達で
大切な人で
大切な君は

 

サヨナラさえも言うことも
許してはくれなかった

 


君は ひとりが好きだった

 

分かってたの

 

君が いつかひとりに戻ろうとすることは
気づいてたの

 

だから 涙はこぼれ落ちなかった

 


君の笑った顔も


君がはしゃぐ姿も


君の横顔も


君の楽しそうな顔も

 

君と交わした約束も


君がくれた沢山の手紙も


君がくれた言葉も


命を大切にして と言った君の言葉も

 

君を撮った写真も

 

全部 全部 全部

 

捨てたくもなくて
忘れたくもないの

 

どうか捨てられない私を

許してほしい…

 


どうか 行かないで

お願い 置いていかないで
お願い 私の前から姿を消さないで

 

どうか 私のこと忘れないで
君の頭の隅っこにでも居させて

 

私の最後のわがまま…


この言葉も 思いも 気持ちも


全部 もう届かないけど
全部 もう伝えられないけど

 

 

私が忘れないうちに
私の頭の中から君が消えてしまう前に

残させて欲しい。

此処に…

 


砂の数ほどの ごめんね と ありがとう

きっと同じくらいの 私の気持ち

 


君が大好きな私は
私が大切な君へ

いつか君に届くように

 

 

ちゃんと生きていくから
安心して君は君の道を歩んでいって

 


君の最後の手紙
君の最後の言葉たちを

 

いつもの箱に閉まって
大切に取っておくから

 

 

忘れないように
私の頭の中から
消えてしまわないように…

 

 


サヨナラ というには
現実味が湧かない

 

この別れは

 


君のため…

 

だから、どうか君の好きなように生きて
誰にも縛られることなく 君らしい生き方を大切にして


大好きな君に最後に


砂の数ほどの ありがとう

届きますように。

 


君にまた会えると信じて…