*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

私の願いと私にとっての幸せと私の言葉

 

 

お久しぶりです。

 

記事を公開せずに一ヶ月くらい経ちました。

 

 

今回は私の願いを私なりの言葉で綴ってみようと思って、はてなブログのアプリをひらきました。

 

これを読んでくれる人がいれば

その人になにかが伝わればいいな。と思ってます。

 

 

いつものように長くなってしまいました。

それでもいいよ。読んでもいいよ。という方は

 

スクロールして読んでくれると嬉しいです。

 

 

 

長いと思うので、暇なとき、時間が空いている時、読もうと思ったときにでも、読んでくれたら嬉しいです。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

私の願いは欲張りなことばかり。

 

 

みんながそれぞれ幸せであること。

 

それぞれの小さな幸せの種を見つけられるようになれること。

 

 

 

あなたが泣いてしまっても

あなたが笑ってくれること。

 

 

あなたが泣けなくなっても

あなたが泣いてくれること。

 

 

悲しいよ、寂しいよ、苦しいよ、辛いよ…と

 

自分の周りの人に本当に信じられる人に

信じられる人がいなかったら、

信じようと信じたいと思える人に

 

少しでもいい。ひとことでもいい。

弱音を本音を吐いてくれること。

 

もちろん無理に吐くのは、それはそれでストレスを感じてしまう、無理やりじゃないの。

自分のペースでいいの。

 

 

 

ただ、そのまま

頭の中にその言葉を一つ一つ、

心の中にその気持ちをひとつひとつを

 

 

溜めこんで抱え込んだらどうなってしまうのか

私は身をもって知ったからこそ

 

 

伝えたいことば。

 

 

 

こぼした涙を 溢れだした涙を

できることなら無理やり止めようとせず

 

自然に頬に伝っていく涙を

できることなら無理やり押し殺さずに

 

涙が出たならその涙と一緒にその気持ちを

流すことができること。

 

誰もが誰かの優しさに思いやりに気づけるようになること。

 

誰もが誰かに ありがとう と ごめんなさい を言えるようになること。

 

 

 

 

私の願いは

 

みんなが生きていること

あなたが生きていること

 

欲をいえば、みんなが あなたが

自分自身の命を

全ての命を大切にできること。

 

みんながあなたが自分自身の心を

他の人の心を大事にできること。

 

 

小さな幸せの種を見つけることができたら

それをすぐにじゃなくてもいいの

自分のペースでその種を育ててあげられること。

 

 

 

 

例えば、私にとっての幸せは

 

これ大切な人たちに見られたら少し恥ずかしいけれど、本当に嘘偽りなく言うと

 

家族や友達、大切な人たちが生きていてくれること

 

大切な人の声をちゃんと聞けること

 

大切な人の言葉を理解できること

 

大切な人が言葉で思いを伝えてくれること

 

大切な人が苦しんでるとき、寂しいとき私がに支えになれること

 

 

 

 

好きな食べ物や一日の食事ちゃんと心の底から美味しいと感じながら食べられるとき

 

朝から晴れてるとき

朝を迎えられたこと

夜ちゃんと眠れたとき

夜が明けるときも

 

最近は、なんとなくしあわせだなぁ、と思えるようになった。

 

 

 

昔は朝が来ることが怖かった。

朝が来てまた一日が始まることがとても怖かった。

 

 

昔は夜になるのが怖かった。

 

夜になると寂しくなったり、悲しくなったり、部屋も外も暗くなる分 ネガティブ思考がいつもより増して泣いてばかりになってしまうから

 

昔から寝つきが悪かったらしいけど、

一晩眠れないことが増えた。

いつからか不眠症になっていた。

 

 

ちゃんと眠れずに朝を迎える

カーテン越しから外が明るくなっていくころ

 

ああ、また眠れなかったな

 

眠れても眠りが浅くて

数時間間隔で目が覚めるから疲れなんてとれなかった。

むしろ、心身ともに疲れが溜まった溜まっていくいっぽう。

 

 

 

だけど、今はその経験ができて本当に良かったと思えるようになれてる。

 

 

 

自分が弱いことを知った

 

自分以外の同じような経験をしてる人がいることを知れた

 

当たり前なんて絶対ないということに気づけた

 

無理しすぎると身体も心もちゃんと悲鳴をあげてSOSのサインをくれる

 

 

そういうことに気づけたとき

初めて自分が経験してきたすべてに意味があったと思えたの。

 

感謝の言葉を伝えることも、

感謝の気持ちを持つことも、いまではできるようになった。

 

 

 

今苦しんでるのは

自分が生きる意味を見つけるため。

いい意味で誰かのためになること。

 

そうやって信じて、

周りの存在に生かされてきた。

 

 

だからこそ、大切な人、これから出会える人たちのために、何かをしたい。

 

支えてくれた人

巡り会えた人

離れていった人

出会えたみんなに

 

言いたい言葉は

 

たくさんあるけど、

 

 

一言だけ言うなら。

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

もうひとこと言うとしたら

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 

 

そう伝えたい。

 

 

 

これを読んで、もし、うちが綺麗事を言ってると思った人がいても、それはそれぞれ考え方も受け取り方も育った環境も経験してきたことも違うからそれはそれでいいと思う。

 

 

悩んで苦しんで迷って毎日泣いて葛藤して

心が傷ついたり、傷んだり、

 

嫌なことを言われて傷ついたこともあった

 

ただ、死にたいと逃げたいと思ったことも何度もあった

 

 

 

それでも、

 

 

出会って関わった人、ひとりひとり

一人でも欠けていたら

 

今の自分は ここにいない。

 

 

 

だから、ありがとう と伝えたい。

 

 

ごめんなさい と伝えたい。

 

 

人を傷つけたこともあった、

どのくらいの人を傷つけたのか分からない。

 

どのくらいの人にごめんなさい。と言えなかったんだろう。

 

 

 

 

そんなふうに考えれるようになった。

だから、今まで逃げたかったこの世界も生活も自分からはもう捨てたくない。

 

 

少なくともひとりひとりになにかを返せるまでは…

一人一人のなにかの支えになれるまでは…

 

 

 

 

 

 

もし、最後まで読んでくれた方がいたら

 

こんな長文読んでくださってありがとうございます。

読むの本当にお疲れさまでした。

伝えたいことが少しでも伝わったらいいな。。

 

今日はこの辺で…また書きますね!

 

白波 ゆめ🌟

 

f:id:shiranami-yume0127:20171109070236j:image

 

私の葛藤と私の生きていて伝えたい言葉

 だいぶ長くなってしまったので

 

読もうと思ってくれた方は

暇な時時間の空いている時に読んでいただけると嬉しいです。

 

 

少しでも。ほんの少しでも伝わりますように。。。

 

 

まずは私の話から

個人的なことも触れてますが、、

 

 

伝えたいことを伝えるためにかきました。

 

 

 

 

 

約10年ほど前から

何度も 何度も 頭の中に浮かぶ言葉は

 

 

逃げたい ここから脱げ出したい

どうして ここから居なくなることが許されないんだろう、どうして自分は生きてるんだろう?生かされてるんだろう?

そんな言葉ばかり、そう疑問に思うと共に

 

生と死のことを何度も何度も行き来して考えて悩んで迷って、それでもここまで命を繋いできてくれて人がいることに感謝の気持ちを抱いてる。

 

 

 

分かってるんだ。

 

この世に存在する意味がなきゃ

この世に存在し得ないことくらい

 

 

それでも

現実は辛くて苦しくてもがいて足掻いて

逃げ出したくなる。

 

 

きっと誰もが闇を抱えてる。

きっと誰もが光を求めてる。

 

 

そんな気がしてならないの。

 

毎日病気、、いや、自分との闘い。

 

葛藤して、

泣いて、

悩んで、

溜め込んで、

抱え込んで、

殻にこもって、

ストレスに耐えきれずに

 

出てくるのは

 

脱力症状。

 

何度も倒れて今月は救急車に2回運ばれてCT検査とMRI検査をした。

 

異常はなかった。

 

それでも、迷惑をかけた。

 

その罪悪感だけで押しつぶされそうだった。

 

その日は眠れなくて3:30頃外に散歩に出かけて考え事をしながら泣きながら、

 

帰る途中駅の前の交差点の近くで

脱力症状が出て身体が地面に叩きつけられた。

 

何度も立とうとして、ポールに掴まって立ち上がれてもまた転倒。それを何度か繰り返してから、頭をコンクリートに打ち付けられてから初めて母親に助けを求めた。

 

出来れば自力で帰りたかった。

皮肉にも脱力症状が

自分が無理をしてると教えてくれる。

 

それでも倒れる度

痣や傷が増えていく。

 

頭を打って脳には異常はなかったけれど

 

頭痛が前よりもひどくなった。

 

出かける時は、

車椅子。

イヤホン、またはヘッドホン。

音楽プレイヤー。

iPhone

お薬。

 

これが無ければ、

倒れると同時にパニックに陥ってしまう。

 

 

正直、どこにもいたくないという気持ちもある。

 

聴覚過敏が生きにくくする。。

 

いつも音に怯えてる。

 

生活音でさえ不快だと怖いと感じてしまう。

好きな音楽と落ち着く音波とか声とか

 

脱力症状で生きにくくなった。

 

一人では生活することが出来なくなった。

介護してもらうことも増えた。

 

鬱だけで生活がままならない。

 

誰かと会話するのさえも怖くなるときもある。

 

数人いる人たちが横を通り過ぎるだけで、人が沢山いる街に行くだけで怖くて恐怖感に苛まれる。

 

 

でも、

音楽が好きでよく聴いているの。

歌うことも歌を聴くことも

言葉も言葉を紡ぐこと綴ることも好き。

お散歩も好きで歩くのも自然の風に触れるのも小さな植物たちに出会うのも好き。

笑うのも誰かとおしゃべりすることだって好き。

 

 

自分にとっていいこと。

ハッピーなこと。

ラッキーなこと

好きなこと。

楽しいと感じること。

ポジティブな考えを持つこと。

 

 

自分にとって悪いこと。

嫌なこと。

不快な思いになること。

不幸せだと辛いと思うこと。

ネガティブな思考だけで

物事を見てしまうこと。

 

 

 

きっとみんなあること。

 

自分にとって

 

いいこと

 

 

悪いこと

 

 

 

でも2、3年前から思い始めてるの。

 

嫌なことがあるのは、自分が成長するためのきっかけ、機会、チャンスなのかも、、って。

 

 

辛いことがあるのは、自分が変わるためのきっかけであって、自分が変わる、成長するチャンスなのかも、って。

 

 

以前、ある人に言われた言葉があるの。

 

辛いことがあったらラッキーなことだと思えって。

 

最初は、

 

そんなの思えないよ。

そんなの出来ないよ。

そう決めつけた。。

 

 

 

 

 

でもやっぱり出来ないって決め付けから物事を見てしまうのはなんだか悲しい。

 

 

 

生きてる中で

逃げたい。

死んでしまいたい。

 

そう思うこと、そう考えてしまうことは、沢山あったし、今でもふと思ってしまうことがある。

 

 

優しい温かい感情が溢れるように

 

悲しい冷たい感情が溢れてくることがあるの。

 

その感情は紙一重なのだと思うの。

 

 

いいこと と 悪いこと

 

長所 と 短所

 

いい所 と だめな所

 

 

そういうのって

ふたつで一つなんだと思う。

 

 

だから、

死にたいという言葉が浮かんでしまうのも

生きたいと願うのも

 

二つで一つ。

 

 

きっとね、生きてるって

 

自分独りでは

出来ない事。

 

世界中の人がいなきゃ今こうして自分は生きてない。

 

例えば、外国産の食べ物、、バナナでもいい、

 

バナナは大抵南国から輸入されてきて店頭に並んでる。

 

例えば、お店や会社で働いてる一人一人がいる。

 

一人一人がそれぞれ抱えてることはたくさんあると思うの。

 

でも、食べ物や欲しいものを買うには店の店員さんやそれを作ってくれる人、並べてくれる人、レジ打ちして商品を計算してくれる人。

 

 

 

一人でも欠けていたら

私は食べたいものも欲しいものも買えないし、着たい服も何もかも手にいられない。

 

 

一人で自分がもし、必要ではない人間だと思っていたとしたら、

 

私は、そう思ったこと感じたことがあるから

何も言えない。

 

でも願ってしまう。

 

生きていて。と

 

死なないでいて。と

 

命を大切にして。と

 

食べられず長く生きれない人も

 

病で長く生きられなかった人もいる。

 

自分は食べられるし、雨風しのげる家もある

好きなものも部屋にある、好きな趣味だってあるしできる。

 

病を抱えて命を大切に抱えて

一日一日一生懸命生きている人も

 

世界中には沢山いる。

どれだけ数の人いるのかは分からないけれど、それでも、私は恵まれてるのだと。

 

見下すわけではない。

でも、そういう人もいるということ忘れないでほしい。

 

生きていられるだけら生かされてる限り生き抜こうと思える。

 

力を勇気をもらえるから。

 

ただ、誰一人として必要とされていない人は居ない。

 

私の場合は

自分が自分を否定してる。

 

ここにいて、

この場所に座ってることを

否定しようとする自分も

 

ここにいて、

この場所で座って

ただ伝えたい言葉を綴ってる自分を

肯定しようとする自分もいるの。

 

 

ネガティブもポジティブも

一緒にあったっていいじゃないか。

って最近思うの。

 

ネガティブな言葉を聞いて

暗くなったり悲しくなるのは良心や優しさを持っている証拠。

 

ポジティブな言葉を聞いて

明るくなったり嬉しくなるのは感情に素直になれてる証拠。

 

 

 

そう思うの。

 

最後に、

辛い時はラッキーだと思えっていう言葉の深い意味は、

 

辛いことや苦しい思いをしてるときには

周りの優しさや温かな気持ち、誰かの心の温もりを感じれるようになれる。

 

苦しい思いをした分、

同じような似たような経験をした人や苦しんでるひとに伝えられる何かを得られる、、それから、今度はきっと誰かのために何かをできるようになる。

優しくなれる。優しさを繋げられる。

 

そういう意味で

辛いときはラッキーだと思えって言われたんだなぁって今では実感してます。

 

 

 

なんだかだいぶ長くなってしまったし、まとまらない言葉ばかりですみません。

 

 

もし、もしも、ここまで読んでくれた方がいたら本当に読むのお疲れ様でした。

読んでいただけて、ありがとうございます。

 

少しでも1mmでも

なにか伝わってほしい。

その一心で1時間書いてました。

指が疲れてしまいました。

 

 

 

最後に海の砂浜に生えてた植物。名前はわからないけれど、生命の強さを感じたので衝動で撮りました。

 

 

また書きます。では

 

白波 ゆめ でした🌟

 

f:id:shiranami-yume0127:20171009233150j:image

君のための別れ、私の思いと君への言葉

 

 

 

サヨナラ というには
現実味が湧かない

 

この別れは

 

君のため。

 

 

 

いくら寂しくても


いくら悲しくても


いくら苦しくても

 

心が辛くても
胸が痛くても

 

君を止める権利は私には無かった。

 

 

大切な友達で
大切な人で
大切な君は

 

サヨナラさえも言うことも
許してはくれなかった

 


君は ひとりが好きだった

 

分かってたの

 

君が いつかひとりに戻ろうとすることは
気づいてたの

 

だから 涙はこぼれ落ちなかった

 


君の笑った顔も


君がはしゃぐ姿も


君の横顔も


君の楽しそうな顔も

 

君と交わした約束も


君がくれた沢山の手紙も


君がくれた言葉も


命を大切にして と言った君の言葉も

 

君を撮った写真も

 

全部 全部 全部

 

捨てたくもなくて
忘れたくもないの

 

どうか捨てられない私を

許してほしい…

 


どうか 行かないで

お願い 置いていかないで
お願い 私の前から姿を消さないで

 

どうか 私のこと忘れないで
君の頭の隅っこにでも居させて

 

私の最後のわがまま…


この言葉も 思いも 気持ちも


全部 もう届かないけど
全部 もう伝えられないけど

 

 

私が忘れないうちに
私の頭の中から君が消えてしまう前に

残させて欲しい。

此処に…

 


砂の数ほどの ごめんね と ありがとう

きっと同じくらいの 私の気持ち

 


君が大好きな私は
私が大切な君へ

いつか君に届くように

 

 

ちゃんと生きていくから
安心して君は君の道を歩んでいって

 


君の最後の手紙
君の最後の言葉たちを

 

いつもの箱に閉まって
大切に取っておくから

 

 

忘れないように
私の頭の中から
消えてしまわないように…

 

 


サヨナラ というには
現実味が湧かない

 

この別れは

 


君のため…

 

だから、どうか君の好きなように生きて
誰にも縛られることなく 君らしい生き方を大切にして


大好きな君に最後に


砂の数ほどの ありがとう

届きますように。

 


君にまた会えると信じて…

 

f:id:shiranami-yume0127:20170904135655j:image

 

私の日記の中の心友と後悔と君への私の言葉

長くなってしまったので、長いのは読みたくない方は、長いほうなのであまりおすすめはしないです。

 

読もうとしている方で時間に余裕がない方は、時間に余裕があった時の暇つぶしにでも、読んでください。

 

 

 

今回綴るのは

 

もう思い出せなくなりそうな心友のこと。

 

それから、後悔をして気づいた大切なこと。

 

 

 

あの頃、私が書いた詩とあなたがくれた手紙でしかあなたを知れない。

 

それから、あなたと過ごした頃の少しの私の日記、何処に行ったかな?

 

思い出せなくなった、私の脳は、あまりにも残酷だ。

 

 

大切なものさえ、頭の中から消えていく。

大切なものさえ、分からなくなる。

 

本当に全部思い出せなくなる前に、

書かなくては、、

 

そう思ったの。

 

 

 

心友のこと を書いた言葉。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

ほとんど思い出せなくなった。

 

 

覚えてるのは名前と出会った場所と大切な友達だったってこと、亡くなったこと、どういうふうに亡くなったのか、それ以外は、もう自力では思い出せなくなった。

 

もう分からなくなったの。

 

どんな人だったのか


どんな声でどんな顔だったのか


どんなこと話して
どんなふうに話す人なのか



どうして居なくなったのか

 


一緒に撮った写真もなくて、本当に友達だったのかさえ分からなくなった。

 

ただ悲しい気持ちがあって、思い出そうとすると胸が苦しくなって、涙だけが出てくることもあるの。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

彼女と出会ったのは、一昨年の夏から秋に変わる季節で、とある病院だった。

 

私が約5年間通った病院。

約1年間を過ごした病院。

 

どんな病院だったかはもう思い出せなくなってしまったけど、古い病院だった。

 

病院生活を綴った日記やスケジュール帳によれば、
 

彼女と過ごした時間は、たった1ヶ月ほどの短い期間だったみたいだった。

 

それでも、彼女の存在は大きかった。

 

 

同じ病名ではなかったものの、

考え方が似てたらしく

同じ精神疾患持ちの仲間であり、

理解し合える、お互いを頼れる良き友だった。

 

そんな印象を受けた日記だった。

 

 

心友が辛いこと抱えていることは、少し知っていたの。

ほとんど話してはくれなかった。

四つ年下だった私が、簡単に会いに行けない場所で、頑張ってお金を貯めて会いに行けば良かったのかもしれない。

 

頼ってほしかった。

頼りにしていた人だったから、なおさら

 

話してほしかった。

話を聞いてくれた人だったから、なおさら

 

支えたかった。

支えてくれた人だったから、なおさら

 

ただ一言 たすけて の四つの文字。

それだけでも、よかったのかもしれない。

 

それだけの文字を言えなかったのは、私のせいでもあったのかもしれない。

 

でも、もしもその頃、たすけて の一言をもらっても

 

きっと

その頃の私は今よりもっと子供で誰かに手を差し伸べられるほど、強くもなかった。

 

むしろ、自分自身を大切に出来ずに

誰かを大切にする方法も分からなかった。

 

 

日記や、その頃に書いたポエムを読み漁っていたら、そんな状態だった。

 

 

自分自身のこと、目の前のこと、そんなことばかりで、そればかりで精一杯で、きっと周りの人のことを考える余裕も無かったのだろう。

 

今でもそういう時の方が多いの。

 

…………………………

 

たすけて という言葉。

その言葉を発すること、その言葉を誰かに言うこと

 

今の私にはとても難しいこと。

 

もしかしたら、心友もそうだったのかもしれない。

 

 

私が苦しんでいること知っていたから

話せなかったのかもしれない。

 

私と年が離れているから

頼りなかったから

 

話せなかったのかもしれない。

 

話したくなかったのかもしれない。

 

 

こうだったのかもしれない。。

そんな言葉ばかり頭の中に浮かんでは、

消えていくの。

 

もう今では話を聞くことも出来ないから

 

ただ悔やんでばかり

あの時こうすればよかったのかな?

 

あの時

 

あの時

 

あの時… 

 

 

そうやって後になってから悔やんでばかり。

 

 

 

 

たったこれだけの事、、

 

それでももう戻らない心友には

 

 

もう届かない。

 

 

もう伝えられない。

 

 

もしかしたら、それを伝えても心友には伝わらなかったかもしれない。

 

 

それでも、言いたかった。

希望はあるんだよ。って、、

 

 

諦めなければ、希望は見えてくるんだよ。って

 

 

そんな言葉さえも届かなかったかもしれない、、

 

 

それでも、伝えずに後悔するよりも、少しでも届くと信じて伝えること。

 

 

大切なこと、少なくとも私はそう思ったの。

 

 

身をもって知ったの。

 

身をもって改めて感じたこと。

 

たくさん後悔の言葉が浮かんでは

消しては

 

たくさんごめんね。って

謝っては泣いて。

 

 

底知れない後悔をして

 

苦しんで

 

悲しんで

 

泣いて

 

泣いて

 

 

気づいたこと。

 

 

今、伝えたいこと。

 

 

 

 

 

どうか、大切なことは

自分の言葉で伝えてほしい。

 

できれば自分の声に出して、伝えてほしいの。

 

声は、きっと自分の気持ちが一番伝わりやすい気がするから。

 

言葉を文字に起こしてもいい。

 

手紙だってLINEだってメールだって

 

 

伝えるべきことは、

怖くたって、

その結果に怯えたって、

 

伝えてほしいの。

 

相手がもし、明日あるいは今日、

自分の前からいなくなってしまったとして、

それで、伝えられたはずの言葉を伝えられなかったら、、

 

 

きっと後悔してしまう。

 

 

後悔するのが嫌なのは

 

後悔させたくないと言うのは

 

 

もしかしたら、

 

自分のわがまま。

 

そう思われてしまうかもしれない。

 

 

でもね。

 

言葉は、伝えるためにあるんだ。っていつも思うんだ。

 

 

 

だれかを傷つける言葉は、

声に発してしまったら

 

もう戻ってきてはくれない。

 

 

 

言葉をぶつけて後悔すること。

 

放った言葉で後悔すること。

 

そういうことも私は何度も重ねてきてしまった。

 

 

一度放ったたった一言でさえも

 

人は傷つけて 傷つく。

 

 

それを怖がって

伝えることが言葉にすることが怖くなったの。

 

 

だけど

 

心友が亡くなってから、

 

自分から言葉にすること、自分から動くこと、そういう事の大切さを実感した。

 

 

 

だからこそ、

 

伝えたいこと。

 

 

誰かを傷つける言葉は

放った瞬間

 

もう元には戻ってくれない。

 

傷つく言葉は、使いたくない。

 

それでも、感情にまかせて

ぶつけてしまう。

 

それで何度も後悔してきた。

 

 

だけど、

大切な自分の気持ち とか 思いとか

些細な言葉でも

伝えてほしいの。

 

これを書いたことを忘れてあとで見返す自分にもこの言葉伝えたい。

 

 

いつもありがとう。とか

〇〇してくれてありがとうございます。でも

 

あの時はごめんね。とか

あんなこと言ってごめんなさい。でも

 

 

大切な言葉。

 

 

たとえば、自分が明日あるいは今日失って泣いて後悔するようなまた会いたいと思えるような大切な人に…

 

自分のありのままの言葉で

あなたは大切な人だよ。って

 

 

好きって言葉でも

大好きって言葉でも

 

愛する人には

愛してる。っていう言葉でも

 

 

伝えられる時に

 

伝えられるうちに

 

伝えてほしいの。

 

 

放った言葉で後悔することも

 

ぶつけた言葉で後悔することも

 

たくさんあると思うけれど、

 

 

言葉を伝えれることは

すごく素敵なこと。

 

 

文字をかけるのも

パソコンやスマホに文字を打ち込めることも

 

言葉を話せることも

声を出して話せることも

 

当たり前ではないことだから。

 

 

誰かに言葉で思いを伝えることは

 

奇跡なのだから。

 

 

どうか言葉を大切にしてほしい。

 

 

*************************************************

 

 

未来の自分にも届くといいな。

 

欲を言えば、

これを読んでくれている方にも

届くといいな。

 

 

こんなに長く書いてしまったのは

初めてかもしれない。

 

 

もしも、ここまで読んでくれた方がいましたら、こんなに長い文を読んでくださってありがとうございます。

 

読むのお疲れ様でした。

 

読むの大変じゃなかったかな?

こんなに長いのは

私だったらあんまり読みたくないかも(笑)

 

 

 

居なかったら居なかったで、

こんなに長く書いてた自分にお疲れ様でした。って言っておこう…

 

3700文字を超えててびっくりしてます!!

 

 

 

最後に何となく撮った太陽が光ってる写真を添えて。

 

 

ではまた書きます。


白波 ゆめ🌟

f:id:shiranami-yume0127:20170711232832j:image

 

 

消えていく記憶、私の大切なものと私の言葉

 

 

 

忘れないうちに、書いておこうと思うの。

あとで、読み返せるように。

 

紡ぎだした言葉、自分から出したらいつも忘れてしまうから。

 

 

長いので、もし読んでくれる方がいましたら、時間が空いて暇な時に読むことをおすすめします。

 

 

 

時間空いてるよ、読んでやってもいいよという方はスクロールして読んでみてください。

 

 

 

****************************************************

 

 

 

私は、どうしてか…いつも何でもすぐに忘れてしまう。

 

 

大切な人のことも、大切だった人のことも

書き記しておかないと

全部、出会ってなかったかのように

頭の中から消えてしまう。

 

 

だから、

何度も、何度も

思い出そうとして

 

だけど、 

思い出せない人がいること

 

忘れてしまった過去があること

 

書き記しておかなかったもの、全部

 

書き記しておいたことさえも客観的視点からしか見れずに

 

思い起こすことが出来ないことで苦しんでる。

 

 

 

過去のこと、

 

過去の自分、

 

過去で出会ったはずの人のこと、

 

現在も時々関わってくれる人のこと、

 

今この瞬間までに起きたこと、

 

きっと思い出すことを拒んでいるのは私なのかもしれない。

 

 

それでも、周りが覚えていることも

私は思い出せない。

 

 

それがなんだかすごく悲しい。

 

離れて暮らす家族あるいは外に出てる家族のことも

連絡を取ったりする友達のことも、

今まで出会った人のことも

自分が生きてた昨日も、今日の午前のことも。

 

きっと、思い出したくない事もあったのかもしれない。

でも、思い出したいこともあるんだ。

日記に書いてること、名前だけ知ってる人のこと、どんな人だったかとか、どんなこと話したかとか、

 

 

昔の話、ヒントを貰えれば

なんとなく

こうだった気がする。

そうだったかもしれない。

そうなふうには思える。

 

 

 

でも、周りが覚えていること、

思い出 と言えるものは、

私からは出てこない。

 

 

小さい頃、両親と一緒に暮らしていたこと、

祖父母と叔母と一緒に暮らしていたこと、

いまは一緒に暮らしていない兄弟と暮らしていたことも思い出せない。

 

 

 

空っぽの自分の過去。

保育園前から高校生まで思い出せることは

数えられるくらい。

入学した とか 転校した とか 卒業した とか

そういうことは分かる。

 

ほとんど空白の19年間って言っても嘘にはならない。

 

そんな今の自分、現在の20歳と何ヶ月の自分には

書き綴った言葉 と

撮ってもらった写真、自分で撮った写真で

過去の記憶を思い出そうとしてる。

 

結局思い出せることは少ないけれど、

 

言葉と写真は、私にとってはすごく大切なもの。

 

 

詩を書くことも

写真を撮ることも

 

いま生きてるんだ。と思わせてくれる。

 

今まで生きていたんだ。と思わせてくれる。


私も生きなきゃ。と思わせてくれる

 

 

それから歌も、大切なもの。

支えてくれるもの。

 

歌を歌うことは

言葉を紡いで、誰かに届けられる。

 

誰かが言葉を紡いだして

その言葉が私の心に届く。

 

誰かが生きてる証で

誰かが伝えようとした証で

誰かが自分で届けようとした言葉だから

 

いまこの瞬間も歌を聴いてる。

 

誰かが生きていて、

誰かが音を生み出して、

誰かが言葉を音に乗せて

誰かが声にその言葉と音を乗せて

届けようとする。

 

きっと、それが音楽だと、私はそう思ってる。

 

だから、私はその言葉に音に声に心が救われることもあるの。

 

 

私の場合は

歌詞に共感して、自分だけじゃないんだと思えたり、勇気をもらったり、

 

音と言葉で気持ちが明るくなったり、

 

闇から光に繋がる歌には、自分もそうなりたいと、こんなふうに考えられるようになりたいと願ったりしている。

 

 

歌は、生かされている間は 私も''生きよう''と思えるようになれるきっかけ。

 

 

 

 

それから、

 

自分が苦しくて、逃げ出したくなる時、つらい時は、過去のブログを遡って読んでいるの。

 

どんな気持ちだったか、

どんなことを考えていたか、

どんな言葉を綴っていたかとか

 

忘れてしまう自分の言葉を

 

読み返して、こんなこと書いていたんだ。と

そんなふうに確認すると、

目の前のことに向き合わなければ

自分や現実から逃げてはだめだ。

負けてはだめだ。

 

そんなふうに読むたびに思うの。

 

過去の自分の言葉も、自分を支えてくれてる。そんな気がするの。

 

 

 

私が綴った言葉がもしも…

 

もしも一人の誰かの心に届いたとしたら、いま、言葉を綴っている私は、それだけで、自分が書いていることに意味があったと思える、、

 

 

私の綴った言葉が

もしも誰の心にも届かなかったとしても、きっと読み返した私に届くと信じて…

 

 

これからもブログという形で、綴っていくと思う。

 

 

****************************************************

 

 

もしもここまで長いのに読んでくれた方がいたとしたら

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。

 

 

長いのに、読んでいて疲れなかったかな?

お疲れ様でした。

 

読んでくれる方がいるかわからないのに、こんなこと書いて、なんか恥ずかしいね、、笑

 

でも、読んでくれた人がいたら、本当にこんなうちが書いた言葉を一文字一文字読んでくれた心優しい人なんだと思う。

 

 

長々とすみませんでした!

 

 

また書きますね。

 

白波 ゆめ🌟

闇と光と、君へ送る私の決意の言葉

 

陽が沈んで 闇に包まれていく空の下で

 

光がどこかへ行って
また闇がやってくる

 

静寂のあの夜が
ただ眠れないあの夜が
泣き腫らした眼を擦るあの夜が来て

 

ただ朝を待つの
ただ窓から光が差し込むのを待つの

 

**********************************

 

 

こんな日々がずっと続くのかな

 

そんな不安が募っていくばかりの毎日。

そんな言葉で希望を失った私。

 

でも、

そんな毎日がずっと続くことはなかったよ。

 

 

もしほんの少し前の、2年前の私が

 

今の私を見たら

涙を流して喜ぶのかな。

それとも

涙を流して怒るのかな。

 

どっちにしたって泣いてしまうよね、きっと。

 

 

静寂に包まれた夜が

眠れない夜が

毎晩泣いてばかりいたあの夜が

 

ただ泣きながら

ただ涙が途絶えるまで泣いて

更けっていったあの夜は

 

 

もう''今は''来なくなったよ。

 

 

今は先生がくれる眠剤のおかげで

眠りにつく。

 

そんな夜がやって来たよ。

 

それでも、前には進めてないよ。

 

きっと、私が思ってたよりも

ずっと小さい一歩だけど、

一歩踏み出したよ。

 

 

前進しても、後退してる。

そんな毎日だけど、

ここで生きてるよ。

 

 

生かされて、

ただ息を止めずに

心が苦しくたって

心がつらくたって

心が痛くたって

私の前に訪れる今日を

ただ生きてるよ。

 

 

過去にいた私は

今の私を見て

涙を流して喜んでくれるかな?

 

前に少しずつ進めてるね。って

頑張ってるね。って

よかった。って

喜びながら褒めてくれるかな?

 

 

それとも

涙を流しながら怒るかな?

 

どうしてそんな少ししか進めてないの?って

どうしてちっぽけな一歩しか踏み出せてないの?って

どうしてそんなに少ししか変われてないの?って

どうして…どうしてまだ泣いてるの?って

 

そうやって怒るかな?

 

 

私は、周りと比べて

前になんて進めてないの。

 

でも、私は、過去にいた私と比べて

少しくらい前に進めてる。

 

 

まだ誰かのために何かを出来るほど

 

強くも優しくもなれてはいないけれど…

 

私は、誰かのために何かを出来るように

誰かの苦しみを誰かの温もりを知るために

今苦しんでるの。辛くても生きてるの。

 

 

誰にもこの苦しみを分かってもらえなくても

誰にもこの苦しみを打ち明けられなくても

誰にもこのつらい思いを受け止めてもらえなくても

誰にもこのつらい思いを言えなくても

 

大丈夫だよ。って

私は、生かされている限り

生きて、生きて、生き抜くの。

 

 

私に最期のときが来るまでに

誰かのために何か出来てるといいな。

最期が来るまで生きられたらいいな。

 

全てを愛せなくても

誰も憎まずに恨まずに

ただ大切にできていたら

自分も周りの人も出会えた人も、みんな大切にできていたらいいな。

 

 

明日のもっともっと先に

そんな私がいたらいいな。

 

 

だから、今は苦しくたって、つらくたって、死にたくなったって、逃げ出したくなったって…

 

どうか生きていて、どうか死なないで、

どうか命を大切にして、

本当に後悔しないように、

ただ私は生き抜くよ。

 

耐えて耐えて耐え抜いてみせるよ。

 

だから、

笑っていて、

泣いたっていいよ

怒ったっていいよ

苛立ったっていいよ

 

でも、どうか大切にできるように…

 

沈んだっていいの

落ちたっていいの

 

あとは、上を目指すだけだから、

一番下にいれば上を見上げられるから。

 

上と比べて、悔しくたって

苦しくなったって

恨めしくなったって

 

私の苦しみが、きっと光に。

 

どん底まで落ちてもきっと光に届くから。

 

それを証明できるように

生きていて

 

 

私がこんな自分でも這い上がって

光を目の前で見れるようになれること

証明できるように生きるよ。

 

誰かが かなえられなかった

誰かが 生きられなかった

明日にいる限り。

 

私は決めたよ。

その明日を生きる。って

 

 

 

**************************

 

 

 

もしも、ここまで読んでくれた方がいたとしたら、すごく嬉しいです。

 

もし、いなかったら恥ずかしい言葉だけど

もし、いたら伝えたい言葉。

 

 

ありがとうございます。

こんなに長いのにここまで読んでくれて。

 

 

誰かの心に届くといいな。

(欲張りかな?)

 

 

 

2時間以上、文字を打っていたみたいです。

ちょっと疲れました。

 

でも、一つでも少しでも
何かが伝わればいいな。

 

 

では、また書きます。

 

 

白波 ゆめ

 

f:id:shiranami-yume0127:20170613202409j:image

私の母と劣等感の塊の私、それから私の言葉

 

お久しぶりです。

白波 ゆめ です。

 

読んでくれる方がいるかわかりませんが、書きます。

 

 

久しぶりに記事を公開します。

一ヶ月ほどの間は、

記事を書いては保存して、そんなことを繰り返していました。

 

 

 

この記事には、私の個人的な家族のことや私のことが書かれています。

 

どうしても、自分で残しておきたい言葉たちを

この場所を借りて、書こうと思います。

 

自分のこと、家族のことを書くので、興味のない方がいましたら、読み進まなくても構いません。

 

こんな記事でも読んでもいいという方はスクロールして読み進めてください。

 

長くなってしまったので、読む方は暇な時間に読むことをおすすめします。

 

 

 

まず私の母のこと。

 

 

母親とは 不思議な存在 だといつも思う。

 

何があってもいつも側にいてくれている。

 

 

母の日には、何もできなかった。

働くことができなくて、お金もないため、何もあげられなかった。

 

 

ありがとう。

その言葉さえ、言えなかった。

 

それでも、母は今日も私の一番、側にいようとしてくれる。

 

 

 

私の母は、強くて、弱い人。


私たち兄弟を必死に守ってくれた。
私たち兄弟を懸命に育ててくれた。

 

 

発達障害 を抱えてる子供、4人を育てるのは、本当に大変な毎日だったんだろうな…

+ 私の父も発達障害者。

 

母は、とても苦労してきたと思う。

きっと私の想像以上に…


病気が発症するくらいだから、無理をしすぎた日々だったんだろう。

 

 

気分が落ち着いている今なら、そう思えるのだけれど、それすら思い出せなくなることが最近は、毎日のことだから、母を困らせてばかりだ。

 

 

私は、両親と9年ほど別居して、
祖父母の家で育ててもらった。

 

久しぶりに両親と一緒に暮らし始めたのは

高校3年生になってからのことだった。

 

 

小学3年生から9年間は祖父母と暮らしていたから、時々、母が祖父母の家に顔を出しても、上手くコミュニケーションを取れないことが多かったような気がする。

 

でも、母と別居していた頃の方が、

母との距離はちょうどよかった。

 

距離といっても、母がいる場所と私がいる場所の距離ではなくて、

心に余裕が持てるくらいの距離 という意味ですよ。

 

一緒に暮らすようになってからは

母との距離が近すぎて、

心に余裕が無い私は

最近は、なりたくなかった自分になってしまった。

 

苛立ちをいろんな言葉で当たり散らしてしまう。

声が大きくなってしまう。

声を荒げてしまう。

パニックになれば、自分に矛先を向ける。

それが、相手を傷つけることもあるのに…

 

言葉で人を傷つけること

 

そんなことをしてしまう自分に自己嫌悪。

自分に苛立ちを抱いて、

 

自分にも人にもぶつけては駄目だと言われて

 

どうしたらいいのかわからない感情。

どこにも持っていけない言葉。

 

そういうものばかりが自分の中で膨れ上がっていってしまう。

 

 

あくまでも私の場合だけれど…

 

毎日、同じ家で暮らしていると、相手のことを考えてあげられる余裕すらもなくなってしまうの。

 

 

 

ありがとう。

感謝の言葉を投げかける事が簡単にできない。

 

ごめんなさい。

そんな謝罪の言葉だけは簡単に出てくるのに…

 

 

 

いつも 生まれてきてよかったのかな?

そう思うの。

 

いつも こんな自分があなたの子供でよかったのかな?

そう思うの。

 

 

上手く生きられない。

 

周りと同じようにできない。

 

周りと違って、

迷惑ばかりかけてるようで

 

胸が苦しくなる。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。

 

こんな私が娘でごめんなさい。

 

そんな言葉ばかり頭を埋め尽くすの。

 

 

ただ、周りの人と同じように

高校を卒業した後は、独り立ちして、

社会人になって働いたり、

学生になって、学校に行ったり、

勉学に励んだり…

 

自分には出来ないことばかり。

周りの人はもっと頑張ってるのに

私は頑張れない。

 

毎日、病気と闘っている。

自分の生まれ持った障害とも向き合わなきゃいけない。

 

 

毎日、弱い自分と闘ってる。

そんなことしか出来ない。

 

 

でも、やっぱり両親や家族には、何もできない。

 

あんなに好きだった勉強もできない

あんなになりたかった学生にもなれない

 

でも、病気や自分の障害と上手く付き合っていけるようになったら、良くなったら、、

 

待ち受けてるのは、普通になること。

周りと同じようになること。

働いたり、勉強したり、そういう日々が待ってるのだと思う。

 

両親は、今のままでも、

見捨てないでいてくれてるけれど、

 

今のままではいられない。

 

 

普通の暮らしを出来るようになれた時

きっと、家族以外にも今以上に迷惑をかけてしまう。

 

きっと、今の自分では乗り越えない壁にもぶち当たる。

 

 

普通になること。

周りと同じようになること。

 

それが今では怖い。

 

自分が普通ではないと言われ続けてきた

そんな自分には難しいことも、

周りの人たちは難なくこなしている。

 

そんなふうに劣等感ばかり抱いてる。

 

 

もしかしたら、周りの人だって苦労してるかもしれない。

 

できない事があるのは周りの人も同じなのかもしれない。

 

 

それでも、私にはブランクがある。

埋められない2年間がある。

何もできない自分がいる。

前に進めているのか確かめることもできない。

 

ここまでは自分のことばかり書いてしまったけれど…

 

 

病院の先生にお薬をもらって、やっとのことで生活している私は、最近こんなことをよく考える。

 

 

こんな自分でも

誰かのために、何かできることはないのかな?

 

こんな自分でも

誰かのためになれないかな?

 

こんな自分には何もできないのかな?

 

 

なにか、何か、無いのかな?

 

一つでも、たった一つでも無いのかな?

 

こんなにも劣等感を抱いている自分でも

 

似ている障害を抱えている人や同じような病気を抱えている人の側に寄り添える言葉を紡げないかな?

 

 

何か意味があるんだ。

こんな自分になったのは、きっと理由がある。

 

そう思いたいし、そう信じたい。

 

 

だから、日々、自分の言葉と自分の状態と向き合っているのかな?

 

なんてね。 

 

 

 

 

もしも、ここまで読んでくれた方がいましたら、

 

こんなに長いのにこんな自分の言葉を一つ一つ読んでくれてありがとうございます。

 

いなかったら恥ずかしい言葉だけれど 

 

それでも、ありがとうございました。

読むのお疲れ様でした。

いつも長くなってしまうの、、

 

 

それでは、また書きますね。

 

 

白波 ゆめ