*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

*私の思い描くものと私の言葉*

またなんとなく過ごして時間は過ぎていった。

もう二度と戻れない日が終わる。

 

何をしたいのかさえ分からないから

何も出来ない。

何もしない。

 

でも、少しだけ、ほんの少しだけ

したいことを見つけた。

 

今までの夢はもうなくなった。

 

画家、動物園の飼育員、獣医師、写真家・フォトグラファー、教師、ファッションデザイナー、イラストレーター、アーティスト…

 

思い描いた未来像はたくさん、

数えられないくらいたくさん…

 

保育園 卒園のアルバムには、将来の夢は 画家になりたい。なんて書いてあった。

 

周りの子とみくらべてみれば、かなりその場所では浮いてる存在だった。

 

小学卒業のアルバムには、将来の夢は、獣医になりたい。なんて書いてあった。

 

ほんの少しだけ思い出した小学生の時の記憶は、獣医師になるために、獣医学部がある大学をパソコンで調べてコピーして、獣医学部に入りたいと勉強も頑張ってた、そんな頃があったな…と。

 

今でも持ってる本がある。

 

旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ

・生きる意味って何だろう?旭山動物園園長の命のメッセージ

 

この二冊は小学生の時におこずかいを貯めて、本屋に行って買った本…。

 

旭山動物園物語 の映画にとても影響を受けた将来の夢が獣医師だった。

 

たしか中学生になる頃に諦めた夢だった。

 

今でも、時々、勉強したくなる衝動に駆られたりなんかしている。

 

でも、いま私がしたいことは、小学生の終わりごろから始めた '' 作詩 '' だ。

 

今でも書き続けている。

 

今の私の目標は、

一つ目、自分の書籍を出版すること。

   ▷資金を貯める。

   ▷作品といえるものを書き溜める。etc‥

二つ目、

自分らしさを見つける。

三つ目、

詩も、写真も、歌も好きなことすべて磨く。

    ▷詩は、ジャンル問わず書けるようになる

       現代詩でも短歌でも俳句でも散文でも

    ▷文章を書く。短編の小説でも長編小説でも

 

    ▷写真は、撮りたい構図、撮りたいテーマを見つける、自分らしさを写真に詰め込む。

    ▷写真を撮る。人も建物も動物も撮れる被写体を増やす。

 

    ▷歌は、発声、呼吸法、声の出し方、今知らないこと全て知って学んで吸収して自分のものにする。

    ▷歌を歌う理由、歌いたいことを探す。

 

ほんの少し、少しずつ、ひとつずつ、自分のペースで、それでも一日一日無駄にしないように。

 

思い描くものは、思った以上に多かった。

 

 

私は、私なんか嫌いだけれど、それでも、有限な時間の中で、生まれたからには一度きりの人生、捨てずに諦めずに生かされている限り生きてみたい。なんて思ってしまったのだ。

 

私なんかでもできることがあるんだ。

こんな自分でもできるんだ。

そんな実感を求めてみたくなったの。

 

生きていられる間、限られた時間しかない中でやってみたいこと、してみたいこと、叶わないと思いながらも、叶わないと知っていても…

 

やっていきたい。

息をしていたい。

何かのために生きていたい。

 

 

今いる場所をどん底だと思えたから

どん底の地面にちゃんと立てたから

あとは、上を見上げながら、、

 

もしかしたら途中で下を見て怖くなってしまうかもしれないけれど、それでも登ってみる。

 

行き当たりばったりの旅 だと思うから…。

荷物はあんまり持たないで、始めてみよう。

 

スタートを切ってみよう。

 

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これ読んでくれる方がいるかわからないけれど、もしも、ここまで読んでくださった方がいたら…読んでくれてありがとうございます。

 

読むのお疲れさまでした。

(読んでくれるやさしい方がいたらいいな…なんて考えてみたり。)

 

久しぶりに長文を書きました。

疲れました。

 

あとは、ゆっくり休みます。

 

次はいつ書けることやら…

 

 

白波 ゆめ

私の弱さと私の言葉

消えたい だとか

死にたい だとか

生きたい だとか

もう分からない

 

どれだっていい

それでいいのか

それはだめなのか

どうでもいいのだ

 

私はもうどれだっていい

私はもういらない

違う人でいい

いらないよ

 

私は私が心底憎らしい

 

何も変われていないじゃないか

とっくに分かっていた

あの人から逃げても

私は私のまま

弱いまま

 

もう嫌なの

何もかもが

嫌になって

何をしたい

何をしてる

 

なにも 何も 何も

何もかも

もう分からないの

 

私の命はきっと誰よりも軽いのだ

自惚れなのかもしれない

ただの逃げなのかもしれない

卑下しているのは私

 

誰かが私を傷つけた

その瞬間から

今日の私

変われない私になってたのかな

誰かに傷つけられる

それが怖いから

誰かよりも誰よりも

自分を傷つけることを繰り返した

 

誰にも傷つけられないように

自分が自分で自分を

これ以上ないってくらい傷つけた

 

そこが間違っていたのだと

きっと分かっているはずなのに

 

誰かに心をズタズタにされる方が怖かった

腕には繰り返し傷つけた傷痕が今でもくっきり残っている

 

私はいつまでも悪なのだと

私は誰よりも罪深いのだと

今でも夜

部屋で一人になるたびに

言い聞かせてる

 

これ以上付け上がらないように

これ以上自分を信じないように

これ以上高ぶらないように

これ以上傲慢にならないように

自分が常に悪なんだと

今日も押さえつける

 

きっと他人からは

馬鹿みたいな話だろう

 

それでも

自分は今まで重ねた罪を

今日も背負っている

 

もう過去は振り返られないくらいに

思い出せる記憶も少なくなった

 

それでも

誰かを傷つけた

誰かを苦しめた

誰かを泣かせた

誰かに陰口を言われるのは

自分への罰だ

 

誰かに酷く罵られるのも

私が傷つけた罰だ

 

気づかない間に誰かを傷つけた

その報いだ

その罰だ

 

自分の弱さと不甲斐なさが嫌いになった

 

私が痛めつけられるのは私が悪いから

私が誰かに利用されるのは私が悪いから

私が全部悪いのだ

 

私は私が嫌いだ

きっとあの人も

憂さ晴らしに私を利用したの

私は私が嫌いだ

最初は痛みも

感覚としてあったような気がする

今では顔も思い出せないあの人は

私に対してきっとなんの感情もなかった

まるで私は人形だったのだろう

 

大人からもきっと人形に見られていたのだろう

あの人からも都合のいい人形。

今では、あの人の何もかも思い出せなくなったけれど

私が不甲斐ない故に私をあの人は何度も痛めつけたのだろう

私が弱いから駄目だったんだ

もっと強ければ変わっていたのだろう

 

私はもういらない

私が自分を拒絶し始めている

誰にもきっと必要とされない

私はきっとこの世界には必要がない

 

私の承認欲求は、ただの足掻きだった

 

もう私はいらない

 

また日が登って

外が明るくなっても

やがて空が暗くなっても

それでも私はここに居るのだろう

 

命に縛られたまま

命に縋りながら

また朝になったら

食事をして一日が始まるのだろう

叫び

 

心の中の言葉に成り立たなかったものが

溢れてきて止まらない

 

 

怖い 憂い 辛い

 

ただそれだけ

 

そればっかり

 

止まらない

 

こぼれだす

あふれだす

ながれだす

 

止まってよ

 

強く叫びそうになる

 

自分の言葉を

吐き出したくなる

 

流れが止まらないまま

 

自分も流されながら

溺れて苦しくなって手足をバタバタ

動かしてもがきながら

沈んでいく

そんなイメージ

 

ただ沈みながら

息を吸うことも

諦めて

生きようと抗うことも

やめて

水面を眺めながら

思い出せない過去を

探している

 

それは悲しい出来事でも

可哀想な事でも

誰かが手を伸ばしてくれる事でもない

 

自分が自分を自ら終わらす

ただの我儘だ

 

怖いから

目を瞑って耳も両手で塞いだ

憂いばかりに囲まれたから

部屋の片隅にしゃがんだ

辛いから

頭の中の思考を止めたくなった

苦しいから

両手を強く握った

 

苦しいのに

息を止めたくなった

怖いから

身体が動かなくなった

辛いから

涙がこみ上げてきた

辛いから

涙をこらえて唇を噛み締めて

ただ泣き出さないだけ

消えていきそうになるから

消さないようにここにいる

 

かき消される自分の声も

周囲の言葉も 声も 音も 全て

雑音に変わっていく

消えてくれない雑音が耳元から

消えない

 

いっそのこと

私の中から消えてなくなってしまえ

記憶が 音が 暗闇が襲ってくる

 

いつまでも逃げ出せない

足が止まって動かない

 

嫌 嫌 嫌 イヤホンで耳を塞ぐ

弱い自分が嫌だ

いや、嫌いなの

 

自分を小さな箱に押し込めて

消えてしまえ

 

頭の中埋め尽くされる

言葉 言葉 言葉 ばかり

 

怖い 怖い 怖い 怖い

やめて やめて やめて

涙よ、こぼれ落ちないで

溢れ出さないで

意味もない

意味を成さない言葉を止めてしまいたい

止まらない 止まらない どうして?

私の弱い心と無意味な私の言葉

 

私の心は弱い

弱くて呆れるくらい弱い

 

願ってしまった

この心をリセットしたい と、

そんなこと他人からしたらどうでもいいこと。

 

他人はみんなそんなの自分には関係ないから勝手にすれば

 

そう思うのだろう

 

どうでもいいこと

誰かがこの文章を読んで何かしらの反応をくれたら、、

そんな図々しいこと考えたくもないけど

考えてしまう

 

いま私は

どうして意味もない文章を書き続けているのか

自分がどうして何時間もかけて長文を書いているのか

自分がどうして誰も読んでくれないようなことを綴っているのか

どうして意味もない言葉を書き連ねているのか

 

分からなくなっている

 

意味もない言葉。

 

誰にも届かないじゃないか

誰にも届いていないじゃないか

 

届いてるのか分からない

 

もしかしたら読んでくれている人がいるかもしれない

それでもその存在を証明するものがないからこそ信じられなくなる

 

自分が意味もない言葉を綴っている

 

伝えたいのに何も伝わらない

言葉が伝わらない

言葉が届かない

 

意味なんてないじゃないか

 

周りを見渡せば

自分が如何に虚しい存在なのか分かってしまう

 

やっぱり自分は弱い

人と自分を勝手に比べては

自分の情けなさを痛感して勝手に責めて

自分で無意味な命に終止符を打ちたくなっている

 

周りが輝いていて

周りがキラキラしていて

周りを見ることが怖くなった

 

それは自分が輝いていなくて

自分がキラキラしていなくて

自分自身が無意味な存在だと思うからだろう

 

 

 

傷つけば傷ついていくほど

傷だらけの自分だ

ただ一つ傷が増えるだけだ

そんなことを思いながら

 

傷が増えることに慣れた

 

耐えればいいんだ

このひとつの傷の痛みに耐えればいいんだ

 

そんな言葉を何度も繰り返して

今の自分はもう21歳。

自分の半生はもう傷つくことに慣れるくらいには痛みを重ねてきた

 

他人に痛みを与えられるくらいなら

その前に自分で罰してやろうと

自分の体を痛みつけることを覚え始めたのは

 

自傷行為を始めたのは

保育園に通う頃からだ

 

怒られている幼い自分が思いっきり自分の頭を

自分で殴った瞬間を微かに思い出している

泣きながら

ごめんなさい ごめんなさい

そんな言葉を何度も叫びながら体に傷つけて

自分で自分の悪を罰していた

 

それがまた怒られる種になるのに。

 

今でも怒られると思った瞬間

もう気づいたら自分を殴っている

 

自分が悪いことをしたから

怒鳴られるんだ

自分が至らないから怒られるんだ

自分が不快なことを言ったから

声を荒げらせてしまうんだ

 

そんな思考は今となっても

変わらない

 

気づいたら怯えるようになっていた

 

自分が人に何か悪いことをしてしまうことを

自分が人に迷惑をかけてしまうことを

 

そんなことをしたら怒られる

 

そんな幼い頃に植え付けられた思考は

21歳のいまも根を伸ばしたまま

 

変わらない。

 

弱い私は変わらないまま

周りは変わっていく

 

少女だった頃の自分が

歳だけ重ねて体だけ大人に近づいて

気づいたら

周りからは大人と扱われる年齢になっていた

 

人間を恐れている

それは今でも

暴力で支配されたあの夏から

私は今でも

人間という生き物を恐れている

 

自分もその中に入っていて

自分さえも恐れている

 

人間は自分よりも弱いと認識したら

暴力で人を支配しようとする

 

昔も今も変わらない。

 

自分より弱い存在を大切にできる人は

ごく一部だ。

 

私は弱い 腕も力も心も 弱くて弱くて情けない

あの人の暴力に対して勝らない存在だったから

だから私はあんなことに巻き込まれていったんだ

 

最低な夏だった

あれから4年も経って

それでも変われない自分が心底情けない。

 

4年経っても頭に植え付けられた思考は

そのままになっている

 

変われない自分が悪いのだろう

 

逃げることを諦めた私は

きっとあの人には使える人間だったのだろう

 

罠にまんまと引っかかった小さな鼠みたいだったのだろう

 

言葉は 本当に怖い

使い方次第で人を操れる

 

言葉は 本当に怖い

 

使い方を間違えば

人を傷つけることも

人を苦しめることも

出来てしまう

 

それでも

言葉は凄くチカラがある

 

使い方を変えれば

人を慰めることも

人を変えることも

出来てしまうから

 

今の私は、言葉の両方を受けた

耐えがたい言葉も

優しく包んでくれる言葉も

どちらも心に残っている

 

体に染み付いてしまった

いつの間にか

痛みに耐えることに慣れていたんだ

 

痛い と言えなくなっていたんだ

 

この間、頭が混乱して

思考が交差して

意味がわからなくなって

苦しくなって

怖くなって

色んな感情が頭の中、混雑した日。

 

自分の腕に刃物を切りつけた日。

 

痛みを感じなかった

痛いと思わなかった

傷がついたことより

痛いと思わないほどに感覚が麻痺していたことに恐れを感じた。

 

痛みを与えてばかりだった自分の身体は

切れても、アザができるほどの痛みも

痛い と感じなくなってきている

 

 違和感 としか感じない。

それが怖かった。

 

怖くて仕方がなかった。

 

お父さんの怒鳴り声も

なんでこんなことするんだ という怒りと焦りがこもった言葉も

理解が追いつかないくらいには

頭が混乱していた。

 

もうこのままでは

私は壊れる

私は自分が壊れていくことに

恐怖を抱いた

 

人間らしく

痛いなら 痛いと言いたい

人間らしく

苦しいなら 苦しい と叫びたい

人間らしく...

 

いつか.....

いつかでいいから...

 

他人のしがらみを気にすることなく

自分のために作られた鳥かごのような場所から抜け出して自分を持って生きたい

他人の枠に入れられたままの今の現状から抜け出して変わりたい

 

そんな気持ちだった

そんな思いで地元から離れることを決めて

地元から離れてもう一週間が経った

 

きっとまた無意味な言葉を書き連ねてしまったけれど

今でも変われない自分と変わりたいと願いながら今日を迎える自分と

どこかでこんな自分に終止符を打って終わりにしてしまいたいと願ってしまう自分

 

そんな自分と闘いながらも

今も呼吸は繰り返されている。

 

もうすぐ 平成最後の夏は終わりだ。、

 

読んでくれる人がいるのか知ることが出来ないけれど

もし読んでくれた人がいたら

こんな文章読むのお疲れ様でした。

呼んでくれてありがとうございます。

 

白波 ゆめ

~私の自己紹介と好きなものを好きな理由、私の言葉~

この記事に目を通してくださる方がいるかわかりませんが‥

__________________________

 

2018年、4月が始まりブログ開設から1年以上経過したので

改めて自己紹介をしようと思います。

 

白波 ゆめ と申します。

 

*年齢*

今年の1月に 21歳 になりました。

20+1年目です。

 

*性別*

女 です。

 

*趣味*

写真・イラスト・作詩 or 作詞・歌 etc.

 

*好きなこと*

・写真を撮ること

・歌を歌うこと

・お散歩をすること(ちょっとした旅をすることも)

・文字を綴ること(言葉を紡ぐこと)

・ギターを弾くこと(アコースティックギター

・絵を描くこと(主にイラスト)

・勉強すること(興味があるのは、特に語学)

 

少しの自己紹介?と趣味や好きなことを書きだしてみました。

 

 

_________________________

 

好きなことが *好きな理由* (写真を撮ること・文字を綴ること)

 

 

「写真を撮ることが好きな理由、写真に残すことを大事にする理由。」

 

 

写真を撮ることは、街の中や自然の中で景色や見たものを一枚に切り取ることだと思っています。

私は、写真を撮るときは、フィルム一眼レフカメラNikon 二種類と Canon 二種類)とミラーレスカメラ(FUJIFILM X-E1)を使い分けてます。

 

私は特にフィルムカメラが好きなのですが、

好きな理由は

 

”一枚一枚の写真を大切にできるから’’です。

 

 

フィルムをセットしてからフィルムを巻き上げて、

自分で絞りやシャッター速度を決めて、

ピントを合わせてボタンを押してシャッターを切ることで‥

”一枚の写真を撮ること” になります。

 

一枚の写真を撮るまでの工程も、フィルムの現像からプリントされて一枚の写真になることも、一枚一枚が大切なものになります。

 

 

 

写真に残すことは…その瞬間や残したいものを閉じ込めて未来にも残すこと。

 

見たものも、居た場所も、行った場所も、会った人の事も、会った人の顔も表情も、どんな人だったかも、どんな場所だったかも、日常にありふれてる景色も…

 

私は、なんでも思い出せなくなる。

だから、記憶に閉じ込めたもの、思い出せなくなるもの…

それから、記憶に鍵を閉めて思い出せない大切なもの‥

 

そういうものが、手元に残るものになったら

きっと自分の今いる場所からもっと遠くの未来にも残るから。

 

私の記憶そのものになってくれるから、写真は私の人生の一部になってくれる。

 

だから、私は写真を撮ることを大切にしているのです。

 

 

 

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _    __

 

 

 

「文字を綴ることが好きな理由、言葉を残すことを大事にする理由。」

 

 

文字を綴ることは、私の気持ちも自分自身の思いも、私の過去の記憶も、

私が見た景色や光景、そういうものを私が何もかもを忘れてしまっても、

いくら思い出そうとして思い出せなくても…

 

文字として残しておけばずっと私の人生の記憶の一部にもなってくれる。

 

それから、単純に文字が好きだから、自然と文字を綴って残すことも、好きになったのです。

 

 

言葉を残すことは、とても"大切なこと" だと私はいつもいつも感じています。

 

「考えた」というより、そんなふうに自分の身体自体が訴えているんです。

 

言葉は伝えるためにあって

言葉の中に意味を持たないものなんて一つもない…。

 

そんなふうに一日一日過ごしている中で感じています。

 

自分と誰か

その関係に言葉は不可欠、中には言葉より行動に起こすことのほうが大切な時もある。

 

それでも、行動で伝わらないことだってたくさんあって、どんな言葉を並べても伝えたいこと伝わってほしいことが伝わらないこともあります。

 

それでも、こんなふうに文字を並べて言葉を残すことに意味はあると私は断言してしまいます。

 

声で伝わらないこと、声に出しても伝わらないこと、伝えたいことが溢れ出しそうなのに誰にも話せないことが多いから

 

私はこうして言葉を綴ることをやめられないでいます。

 

明日、明後日、明々後日、もっともっと先まで生きられるとしたら、その未来の自分にも伝えられるように、"今の自分"の言葉を残して、大切に大切に取っておきたいのです。

 

忘れないように..残さないで後で悔やむことがないように。

 

私は誰かに何かを伝えたいという気持ちが強い人間だと思ってます。それは、ずっと前から...

 

_____________________________________

 

 

ここまで読んでくれた人がいたら

 

読んでくださってありがとうございます。

 

ここまで書いた私と読んでくれた方に

お疲れ様でした...

 

もしも、この記事を読んでくれた誰かに何かが伝わりますように、、

 

もしも、私がこの記事を振り返って読む日が来た時、何かを感じ取れることを願って...

 

 

また書きます。

 

白波 ゆめ

原爆の日と私の言葉

 

原爆の日

 

https://instagram.com/p/BmPo4GlDzuH/

 

 

Instagramに詰め込みました。

まだまだ伝えたいこと

届けたい思いがたくさんあって

頭の中を渦が巻くように

溢れかえっています。

 

Instagramに載せるために

何かを考えてほしくて

考えるきっかけになってほしくて

 

iPhoneと向き合いながら文字を打つのに

およそ40分

メモをスクリーンショットで画像にして

スクエアのサイズにして

Instagramに載せるまで1時間もかかった

 

込み上がる言葉と言葉を打ち込む動力と

書き留めたい衝動と一緒に涙が止まらなかった

 

恐ろしかった

ただただ恐ろしかった。

 

両手でも数えられないくらいの人の命が奪われた事実とそれを人間がした事実に

目が眩むような恐ろしい出来事で

頭の中がぐるぐるたくさんの言葉で埋め尽くされて苦しかった。

 

それを吐き出したかった

その吐き出した言葉で誰かに何かを考えてほしかった

 

やっと欲すること、

渇望することが出来ました。

 

 

今さらだけど

私は私の命さえも重いことに気づきました

 

苦しいと叫んで

逃げたいからと

死にたいという言葉をこぼして

 

それでも命にしがみついて

命に縋って

奪われないように

奪わないように

なくさないように

離さないように

大切に

大切にしなきゃ

 

そう思えた

 

一日生きながらえるのも

食べ物を探すの

食べるのも

お腹を満たすのも

喉を潤すのも

 

何千何万の人が生きることに

必死だった

戦時中のもう何十年も前の時代。

昭和の時代。

日本が戦争の真っ只中だった時代。

 

今年の3月25日にInstagramに書いた言葉

もし気になったらでいいのでリンクから覗いて見てほしいです。

 

https://instagram.com/p/Bgvpu6FDRje/

 

 

どうか届きますように

誰か一人でも何かを考えるきっかけになりますように。

 

原爆の日 がきっかけで

生きていかなければと思えた。

 

不本意だけど、原子爆弾が投下された事実を知った後世の私は

命の重さと命が奪われたことへの恐怖を知ることになった

 

自分の命のこと 

誰かの命のことを考えるきっかけが

亡くなった人の命 だった。

 

 

自分は生きているのに

亡くなったあの子はもう今の時間を生きられない。

 

自分はここで呼吸をして

椅子に座ってiPhoneに文字を打ち込んで

脳が動いていて体も動いていてここに存在しているのに

 

あの子はもう ここにはいない。

 

あの子の存在が忘れ去られないように

私は 文字を書き続ける

 

言葉を綴ることをやめたくないのは

あの子を忘れないため。

 

人の死を忘れないため。

 

 

 

もしここまで読んでくれた人がいたのなら

文字を残した意味が成り立ちました。

ありがとうございます。

 

 

何かが伝わるといいな。

 

なんて望んでみます。

 

明日になっても明後日になっても

そのもっと先の未来が訪れてもこの言葉たちが生きますように。

 

 

白波 ゆめ

最後の夏と矛盾だらけの劣等感の塊と私の独り言

書いても意味の無いことかもしれないこと。

 

そんなことを書こうと思います。

 

そんなことを書いたら読まない人も逆になんだろうと気になる人もいるのかも知れません。

 

以前のように長くなると思います。

よかったら最後までお付き合いください。

本当に本当に些細なことですが、読んでいって何かが伝わることを願って...

 

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とても懐かしい季節を迎えた

白波 ゆめです。

 

とても大切なはずの季節。

嫌いというには涙が出るような季節。

 

そんな「夏」の話。

今のうちに、忘れてしまわないように

書いておきます。

 

夏という季節が自然に訪れた頃

人は、皆は何を思いますか?

 

学生さんは

夏休みが来る時期。

 

宿題が多くて、面倒だな。なんて思いながら夏休みに入る前の一学期最後のホームルームで

夏休みにしたいこと  夏休みのうちに行きたい場所を思い浮かべてるのかな…

 

誰とあの場所に行きたい。

夏を満喫したい。

夏休みに出される課題は

出来ればあんまりしたくない。

 

そんなふうに 楽しみ と 隣にいる嫌な感情を抱いているのかもしれない。

 

社会人になれた人たちは

仕事をこなすことをしながら

例えば、もし休暇を取れたとしたら

実家に帰ろう。だとか

家族と過ごそう。だとか

友達と過ごしたい。だとか

 

もしかしたら、私の妄想やイメージでしかないのかもしれないけれど

 

そんなふうに、

人はプラスなこと と マイナスなこと。

バランスをとって毎日を過ごして、生きてるのかな。

 

そんな中 私は、必死に毎日やり過ごして

生きています。

 

「病と障害」

いらないと思うようで、実は必要なものを抱えて...一日一日乗り切るのに精一杯。

 

夏は、正直苦手です。

嫌いだ、、って言いたくなるくらい。

私は夏に向いてない身体で

夏を過ごすには難しい精神状態です。

 

そんなこと、言ったって意味ないのかもしれない…全部病気と発達障害と自分の身体のせいにしても意味がないのかもしれない。

 

それでも、もしかしたら 夏を乗り切るのに、生きることに苦労している人がいるかもしれない。

 

いなかったらいなかったでそれは私はそれ以上にいいことはないと思っています。

 

命に縋っている そう見える自分が

正直言えば、嫌で嫌でしかたないです。

 

それが何故かわかってくれる人はいない。

 

なのに、考えてしまうのです。

苦しんで生きているのは自分だけではないはずだ。なんて...

 

私は矛盾だらけだ

周りにたくさんの劣等感を抱きながら

周りを大切にしようと

大切にしたいと思ってしまう。

 

それは後悔ばかりしてきたから

その時の感情に任せて

言葉を吐いて傷つけて

思ったことを吐き出して

不満を溜めたバケツから水みたいな言葉をぶちまけて

傷つけて、それが理由で傷つけ返されて

それで今の自分がいるから。

 

だからか、周りに劣等感を抱き続けてるのに

今では何も声で訴えかけれなくなった

家族に声で言葉を使って伝えようとするとき

すぐに諦める。伝えることを諦める。

 

伝えようと頑張った

それでも

否定されるのに慣れて

伝えることすらやめようとして結局文字で

この場所に言葉を綴ってる

 

発散させるように

言葉を散らして

頭の中で巡って巡って止まってくれない言葉を散らしている

 

誰にも届かないと思うけれど

それでも願ってしまう

誰かに届いてほしいと。

 

それでも、届かない

虚しくも家族にさえ届かない気持ちは

行き場所を無くして

私を壊していく。

 

夏は私を追い詰めた。

 

私は暑さにやられ

体調を崩す

 

夏には

蝉の鳴き声が

聴覚過敏の私を苦しめる

 

そして

暑さで身体は動きにくくなる

したいことがあったとしても

やらなきゃいけないことがあったとしても

摂らなきゃいけない水分もとれない

食べなきゃいけない食べ物も食べられない

 

だから気持ちも病んでいく

身体が上手く気持ちについて来てくれないと身体だけ動かず気持ちだけ考えだけ働いて

自分が病に侵されていく

 

少しずつなにも出来なくなる

そんな私は人に

「なんでなにも出来ないの?」

そんなふうに問われる

「これなら出来るでしょう?」

そんなふうな提案をされる

結局、できないと分かると

 

優しさに嫌味も混ぜて

「あなたができないから

私がやってあげる」

 

私はなにもできない自分と出来ている人を比べて劣等感に苛まれていく

 

それが今の私。

 

どんどん築いてきたものが

壊れていく。それを感じている。

 

だから、きっとこうしてSignを送っているんだと思うの。

 

 

最後の夏、平成最後の夏。

もうすぐ平成が終わる。

終わりに近づいていく。

そんな夏の日に

毎日思うこと。

 

太陽が昇って一日が始まって太陽が沈んで一日が終わる

 

それは繰り返されるけれど

今過ごしている  「今日」 は

 

いつだって最後の日。

 

一日の始まりが一日の終わりになって

0:00になった頃

もうその日は二度とやって来ない日、過去になる。

 

当たり前だった夏も 春も 冬も 秋も

名前は同じ移り変わる季節でも、

一つ一つ違う季節。

一日一日違う日。

一年一年違う年。

 

だからいいのかもしれない。

それが毎日毎日毎年毎年いつもいつも

同じ日々だったら

 

どんなに苦しいか

飽き飽きして

きっと生きることにうんざりする。

 

それでも変わっていくのは時間と季節と時代だけ。

 

 

 

最後だと思うまで私は特別なことをしない人間だな。と思い知らされる。

 

最後だから一緒に写真を撮ろう

最後だから一緒に出かけて楽しもう

最後だから一緒に見たいものを見に行こう

 

そういうことすら私はできない。

何をするにも

する前から諦めた、諦めている。

 

だから、変われないのだろうか

 

分かっているようで分かっていない

頭の知識としてはあっても

実感しなきゃ

何も分かってるなんて言えなくなった。

 

最後と知らされているのにもかかわらず何も出来なくなった自分に終止符を打ってしまいたくなる。

 

 

マイナスの私はプラスにはなれないのだろうか

もう諦めるべきなのだろうか

生きることを頑張っても

褒めてくれる人がいたら

褒めてあげられる自分がいたらどんなにいいだろうか

 

いつまでもいつまでも変わることが出来ないのだろうか

 

周りを見渡して

周りの目を気にして

周りの意見に従って

周りのせいにして

周りへの劣等感で押しつぶさそうなのは

私がそうさせたからなのだろうか

 

可哀想だと言われるのには遠すぎる

私の現状。

消えない 消えない 私の気持ち

止まってほしいの 私の思考。

 

それでも

矛盾だらけで

生きたいと叫びそうになってしまう。

 

 

 

ねえ、私は生きていていいの?

 

ねえ、お母さん

私はどうして生まれさせられたの?

 

ねえ、お父さん

私はどうしたらいいの?

 

ねえ、お兄ちゃん

私はどうしてお兄ちゃんみたいに生きられないの?

 

ねえ、お姉ちゃん

私はどうして生きてるのに死んでるの?

 

誰にもわからない問 を投げかけてはやめた。

 

終わらない私の思考。

消えない劣等感の塊。

 

ねえ、夏は私を壊していくのはどうして?