*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

私の日記の中の心友と後悔と君への私の言葉

長くなってしまったので、長いのは読みたくない方は、長いほうなのであまりおすすめはしないです。

 

読もうとしている方で時間に余裕がない方は、時間に余裕があった時の暇つぶしにでも、読んでください。

 

 

 

今回綴るのは

 

もう思い出せなくなりそうな心友のこと。

 

それから、後悔をして気づいた大切なこと。

 

 

 

あの頃、私が書いた詩とあなたがくれた手紙でしかあなたを知れない。

 

それから、あなたと過ごした頃の少しの私の日記、何処に行ったかな?

 

思い出せなくなった、私の脳は、あまりにも残酷だ。

 

 

大切なものさえ、頭の中から消えていく。

大切なものさえ、分からなくなる。

 

本当に全部思い出せなくなる前に、

書かなくては、、

 

そう思ったの。

 

 

 

心友のこと を書いた言葉。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

ほとんど思い出せなくなった。

 

 

覚えてるのは名前と出会った場所と大切な友達だったってこと、亡くなったこと、どういうふうに亡くなったのか、それ以外は、もう自力では思い出せなくなった。

 

もう分からなくなったの。

 

どんな人だったのか


どんな声でどんな顔だったのか


どんなこと話して
どんなふうに話す人なのか



どうして居なくなったのか

 


一緒に撮った写真もなくて、本当に友達だったのかさえ分からなくなった。

 

ただ悲しい気持ちがあって、思い出そうとすると胸が苦しくなって、涙だけが出てくることもあるの。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

彼女と出会ったのは、一昨年の夏から秋に変わる季節で、とある病院だった。

 

私が約5年間通った病院。

約1年間を過ごした病院。

 

どんな病院だったかはもう思い出せなくなってしまったけど、古い病院だった。

 

病院生活を綴った日記やスケジュール帳によれば、
 

彼女と過ごした時間は、たった1ヶ月ほどの短い期間だったみたいだった。

 

それでも、彼女の存在は大きかった。

 

 

同じ病名ではなかったものの、

考え方が似てたらしく

同じ精神疾患持ちの仲間であり、

理解し合える、お互いを頼れる良き友だった。

 

そんな印象を受けた日記だった。

 

 

心友が辛いこと抱えていることは、少し知っていたの。

ほとんど話してはくれなかった。

四つ年下だった私が、簡単に会いに行けない場所で、頑張ってお金を貯めて会いに行けば良かったのかもしれない。

 

頼ってほしかった。

頼りにしていた人だったから、なおさら

 

話してほしかった。

話を聞いてくれた人だったから、なおさら

 

支えたかった。

支えてくれた人だったから、なおさら

 

ただ一言 たすけて の四つの文字。

それだけでも、よかったのかもしれない。

 

それだけの文字を言えなかったのは、私のせいでもあったのかもしれない。

 

でも、もしもその頃、たすけて の一言をもらっても

 

きっと

その頃の私は今よりもっと子供で誰かに手を差し伸べられるほど、強くもなかった。

 

むしろ、自分自身を大切に出来ずに

誰かを大切にする方法も分からなかった。

 

 

日記や、その頃に書いたポエムを読み漁っていたら、そんな状態だった。

 

 

自分自身のこと、目の前のこと、そんなことばかりで、そればかりで精一杯で、きっと周りの人のことを考える余裕も無かったのだろう。

 

今でもそういう時の方が多いの。

 

…………………………

 

たすけて という言葉。

その言葉を発すること、その言葉を誰かに言うこと

 

今の私にはとても難しいこと。

 

もしかしたら、心友もそうだったのかもしれない。

 

 

私が苦しんでいること知っていたから

話せなかったのかもしれない。

 

私と年が離れているから

頼りなかったから

 

話せなかったのかもしれない。

 

話したくなかったのかもしれない。

 

 

こうだったのかもしれない。。

そんな言葉ばかり頭の中に浮かんでは、

消えていくの。

 

もう今では話を聞くことも出来ないから

 

ただ悔やんでばかり

あの時こうすればよかったのかな?

 

あの時

 

あの時

 

あの時… 

 

 

そうやって後になってから悔やんでばかり。

 

 

 

 

たったこれだけの事、、

 

それでももう戻らない心友には

 

 

もう届かない。

 

 

もう伝えられない。

 

 

もしかしたら、それを伝えても心友には伝わらなかったかもしれない。

 

 

それでも、言いたかった。

希望はあるんだよ。って、、

 

 

諦めなければ、希望は見えてくるんだよ。って

 

 

そんな言葉さえも届かなかったかもしれない、、

 

 

それでも、伝えずに後悔するよりも、少しでも届くと信じて伝えること。

 

 

大切なこと、少なくとも私はそう思ったの。

 

 

身をもって知ったの。

 

身をもって改めて感じたこと。

 

たくさん後悔の言葉が浮かんでは

消しては

 

たくさんごめんね。って

謝っては泣いて。

 

 

底知れない後悔をして

 

苦しんで

 

悲しんで

 

泣いて

 

泣いて

 

 

気づいたこと。

 

 

今、伝えたいこと。

 

 

 

 

 

どうか、大切なことは

自分の言葉で伝えてほしい。

 

できれば自分の声に出して、伝えてほしいの。

 

声は、きっと自分の気持ちが一番伝わりやすい気がするから。

 

言葉を文字に起こしてもいい。

 

手紙だってLINEだってメールだって

 

 

伝えるべきことは、

怖くたって、

その結果に怯えたって、

 

伝えてほしいの。

 

相手がもし、明日あるいは今日、

自分の前からいなくなってしまったとして、

それで、伝えられたはずの言葉を伝えられなかったら、、

 

 

きっと後悔してしまう。

 

 

後悔するのが嫌なのは

 

後悔させたくないと言うのは

 

 

もしかしたら、

 

自分のわがまま。

 

そう思われてしまうかもしれない。

 

 

でもね。

 

言葉は、伝えるためにあるんだ。っていつも思うんだ。

 

 

 

だれかを傷つける言葉は、

声に発してしまったら

 

もう戻ってきてはくれない。

 

 

 

言葉をぶつけて後悔すること。

 

放った言葉で後悔すること。

 

そういうことも私は何度も重ねてきてしまった。

 

 

一度放ったたった一言でさえも

 

人は傷つけて 傷つく。

 

 

それを怖がって

伝えることが言葉にすることが怖くなったの。

 

 

だけど

 

心友が亡くなってから、

 

自分から言葉にすること、自分から動くこと、そういう事の大切さを実感した。

 

 

 

だからこそ、

 

伝えたいこと。

 

 

誰かを傷つける言葉は

放った瞬間

 

もう元には戻ってくれない。

 

傷つく言葉は、使いたくない。

 

それでも、感情にまかせて

ぶつけてしまう。

 

それで何度も後悔してきた。

 

 

だけど、

大切な自分の気持ち とか 思いとか

些細な言葉でも

伝えてほしいの。

 

これを書いたことを忘れてあとで見返す自分にもこの言葉伝えたい。

 

 

いつもありがとう。とか

〇〇してくれてありがとうございます。でも

 

あの時はごめんね。とか

あんなこと言ってごめんなさい。でも

 

 

大切な言葉。

 

 

たとえば、自分が明日あるいは今日失って泣いて後悔するようなまた会いたいと思えるような大切な人に…

 

自分のありのままの言葉で

あなたは大切な人だよ。って

 

 

好きって言葉でも

大好きって言葉でも

 

愛する人には

愛してる。っていう言葉でも

 

 

伝えられる時に

 

伝えられるうちに

 

伝えてほしいの。

 

 

放った言葉で後悔することも

 

ぶつけた言葉で後悔することも

 

たくさんあると思うけれど、

 

 

言葉を伝えれることは

すごく素敵なこと。

 

 

文字をかけるのも

パソコンやスマホに文字を打ち込めることも

 

言葉を話せることも

声を出して話せることも

 

当たり前ではないことだから。

 

 

誰かに言葉で思いを伝えることは

 

奇跡なのだから。

 

 

どうか言葉を大切にしてほしい。

 

 

*************************************************

 

 

未来の自分にも届くといいな。

 

欲を言えば、

これを読んでくれている方にも

届くといいな。

 

 

こんなに長く書いてしまったのは

初めてかもしれない。

 

 

もしも、ここまで読んでくれた方がいましたら、こんなに長い文を読んでくださってありがとうございます。

 

読むのお疲れ様でした。

 

読むの大変じゃなかったかな?

こんなに長いのは

私だったらあんまり読みたくないかも(笑)

 

 

 

居なかったら居なかったで、

こんなに長く書いてた自分にお疲れ様でした。って言っておこう…

 

3700文字を超えててびっくりしてます!!

 

 

 

最後に何となく撮った太陽が光ってる写真を添えて。

 

 

ではまた書きます。


白波 ゆめ🌟

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消えていく記憶、私の大切なものと私の言葉

 

 

 

忘れないうちに、書いておこうと思うの。

あとで、読み返せるように。

 

紡ぎだした言葉、自分から出したらいつも忘れてしまうから。

 

 

長いので、もし読んでくれる方がいましたら、時間が空いて暇な時に読むことをおすすめします。

 

 

 

時間空いてるよ、読んでやってもいいよという方はスクロールして読んでみてください。

 

 

 

****************************************************

 

 

 

私は、どうしてか…いつも何でもすぐに忘れてしまう。

 

 

大切な人のことも、大切だった人のことも

書き記しておかないと

全部、出会ってなかったかのように

頭の中から消えてしまう。

 

 

だから、

何度も、何度も

思い出そうとして

 

だけど、 

思い出せない人がいること

 

忘れてしまった過去があること

 

書き記しておかなかったもの、全部

 

書き記しておいたことさえも客観的視点からしか見れずに

 

思い起こすことが出来ないことで苦しんでる。

 

 

 

過去のこと、

 

過去の自分、

 

過去で出会ったはずの人のこと、

 

現在も時々関わってくれる人のこと、

 

今この瞬間までに起きたこと、

 

きっと思い出すことを拒んでいるのは私なのかもしれない。

 

 

それでも、周りが覚えていることも

私は思い出せない。

 

 

それがなんだかすごく悲しい。

 

離れて暮らす家族あるいは外に出てる家族のことも

連絡を取ったりする友達のことも、

今まで出会った人のことも

自分が生きてた昨日も、今日の午前のことも。

 

きっと、思い出したくない事もあったのかもしれない。

でも、思い出したいこともあるんだ。

日記に書いてること、名前だけ知ってる人のこと、どんな人だったかとか、どんなこと話したかとか、

 

 

昔の話、ヒントを貰えれば

なんとなく

こうだった気がする。

そうだったかもしれない。

そうなふうには思える。

 

 

 

でも、周りが覚えていること、

思い出 と言えるものは、

私からは出てこない。

 

 

小さい頃、両親と一緒に暮らしていたこと、

祖父母と叔母と一緒に暮らしていたこと、

いまは一緒に暮らしていない兄弟と暮らしていたことも思い出せない。

 

 

 

空っぽの自分の過去。

保育園前から高校生まで思い出せることは

数えられるくらい。

入学した とか 転校した とか 卒業した とか

そういうことは分かる。

 

ほとんど空白の19年間って言っても嘘にはならない。

 

そんな今の自分、現在の20歳と何ヶ月の自分には

書き綴った言葉 と

撮ってもらった写真、自分で撮った写真で

過去の記憶を思い出そうとしてる。

 

結局思い出せることは少ないけれど、

 

言葉と写真は、私にとってはすごく大切なもの。

 

 

詩を書くことも

写真を撮ることも

 

いま生きてるんだ。と思わせてくれる。

 

今まで生きていたんだ。と思わせてくれる。


私も生きなきゃ。と思わせてくれる

 

 

それから歌も、大切なもの。

支えてくれるもの。

 

歌を歌うことは

言葉を紡いで、誰かに届けられる。

 

誰かが言葉を紡いだして

その言葉が私の心に届く。

 

誰かが生きてる証で

誰かが伝えようとした証で

誰かが自分で届けようとした言葉だから

 

いまこの瞬間も歌を聴いてる。

 

誰かが生きていて、

誰かが音を生み出して、

誰かが言葉を音に乗せて

誰かが声にその言葉と音を乗せて

届けようとする。

 

きっと、それが音楽だと、私はそう思ってる。

 

だから、私はその言葉に音に声に心が救われることもあるの。

 

 

私の場合は

歌詞に共感して、自分だけじゃないんだと思えたり、勇気をもらったり、

 

音と言葉で気持ちが明るくなったり、

 

闇から光に繋がる歌には、自分もそうなりたいと、こんなふうに考えられるようになりたいと願ったりしている。

 

 

歌は、生かされている間は 私も''生きよう''と思えるようになれるきっかけ。

 

 

 

 

それから、

 

自分が苦しくて、逃げ出したくなる時、つらい時は、過去のブログを遡って読んでいるの。

 

どんな気持ちだったか、

どんなことを考えていたか、

どんな言葉を綴っていたかとか

 

忘れてしまう自分の言葉を

 

読み返して、こんなこと書いていたんだ。と

そんなふうに確認すると、

目の前のことに向き合わなければ

自分や現実から逃げてはだめだ。

負けてはだめだ。

 

そんなふうに読むたびに思うの。

 

過去の自分の言葉も、自分を支えてくれてる。そんな気がするの。

 

 

 

私が綴った言葉がもしも…

 

もしも一人の誰かの心に届いたとしたら、いま、言葉を綴っている私は、それだけで、自分が書いていることに意味があったと思える、、

 

 

私の綴った言葉が

もしも誰の心にも届かなかったとしても、きっと読み返した私に届くと信じて…

 

 

これからもブログという形で、綴っていくと思う。

 

 

****************************************************

 

 

もしもここまで長いのに読んでくれた方がいたとしたら

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。

 

 

長いのに、読んでいて疲れなかったかな?

お疲れ様でした。

 

読んでくれる方がいるかわからないのに、こんなこと書いて、なんか恥ずかしいね、、笑

 

でも、読んでくれた人がいたら、本当にこんなうちが書いた言葉を一文字一文字読んでくれた心優しい人なんだと思う。

 

 

長々とすみませんでした!

 

 

また書きますね。

 

白波 ゆめ🌟

闇と光と、君へ送る私の決意の言葉

 

陽が沈んで 闇に包まれていく空の下で

 

光がどこかへ行って
また闇がやってくる

 

静寂のあの夜が
ただ眠れないあの夜が
泣き腫らした眼を擦るあの夜が来て

 

ただ朝を待つの
ただ窓から光が差し込むのを待つの

 

**********************************

 

 

こんな日々がずっと続くのかな

 

そんな不安が募っていくばかりの毎日。

そんな言葉で希望を失った私。

 

でも、

そんな毎日がずっと続くことはなかったよ。

 

 

もしほんの少し前の、2年前の私が

 

今の私を見たら

涙を流して喜ぶのかな。

それとも

涙を流して怒るのかな。

 

どっちにしたって泣いてしまうよね、きっと。

 

 

静寂に包まれた夜が

眠れない夜が

毎晩泣いてばかりいたあの夜が

 

ただ泣きながら

ただ涙が途絶えるまで泣いて

更けっていったあの夜は

 

 

もう''今は''来なくなったよ。

 

 

今は先生がくれる眠剤のおかげで

眠りにつく。

 

そんな夜がやって来たよ。

 

それでも、前には進めてないよ。

 

きっと、私が思ってたよりも

ずっと小さい一歩だけど、

一歩踏み出したよ。

 

 

前進しても、後退してる。

そんな毎日だけど、

ここで生きてるよ。

 

 

生かされて、

ただ息を止めずに

心が苦しくたって

心がつらくたって

心が痛くたって

私の前に訪れる今日を

ただ生きてるよ。

 

 

過去にいた私は

今の私を見て

涙を流して喜んでくれるかな?

 

前に少しずつ進めてるね。って

頑張ってるね。って

よかった。って

喜びながら褒めてくれるかな?

 

 

それとも

涙を流しながら怒るかな?

 

どうしてそんな少ししか進めてないの?って

どうしてちっぽけな一歩しか踏み出せてないの?って

どうしてそんなに少ししか変われてないの?って

どうして…どうしてまだ泣いてるの?って

 

そうやって怒るかな?

 

 

私は、周りと比べて

前になんて進めてないの。

 

でも、私は、過去にいた私と比べて

少しくらい前に進めてる。

 

 

まだ誰かのために何かを出来るほど

 

強くも優しくもなれてはいないけれど…

 

私は、誰かのために何かを出来るように

誰かの苦しみを誰かの温もりを知るために

今苦しんでるの。辛くても生きてるの。

 

 

誰にもこの苦しみを分かってもらえなくても

誰にもこの苦しみを打ち明けられなくても

誰にもこのつらい思いを受け止めてもらえなくても

誰にもこのつらい思いを言えなくても

 

大丈夫だよ。って

私は、生かされている限り

生きて、生きて、生き抜くの。

 

 

私に最期のときが来るまでに

誰かのために何か出来てるといいな。

最期が来るまで生きられたらいいな。

 

全てを愛せなくても

誰も憎まずに恨まずに

ただ大切にできていたら

自分も周りの人も出会えた人も、みんな大切にできていたらいいな。

 

 

明日のもっともっと先に

そんな私がいたらいいな。

 

 

だから、今は苦しくたって、つらくたって、死にたくなったって、逃げ出したくなったって…

 

どうか生きていて、どうか死なないで、

どうか命を大切にして、

本当に後悔しないように、

ただ私は生き抜くよ。

 

耐えて耐えて耐え抜いてみせるよ。

 

だから、

笑っていて、

泣いたっていいよ

怒ったっていいよ

苛立ったっていいよ

 

でも、どうか大切にできるように…

 

沈んだっていいの

落ちたっていいの

 

あとは、上を目指すだけだから、

一番下にいれば上を見上げられるから。

 

上と比べて、悔しくたって

苦しくなったって

恨めしくなったって

 

私の苦しみが、きっと光に。

 

どん底まで落ちてもきっと光に届くから。

 

それを証明できるように

生きていて

 

 

私がこんな自分でも這い上がって

光を目の前で見れるようになれること

証明できるように生きるよ。

 

誰かが かなえられなかった

誰かが 生きられなかった

明日にいる限り。

 

私は決めたよ。

その明日を生きる。って

 

 

 

**************************

 

 

 

もしも、ここまで読んでくれた方がいたとしたら、すごく嬉しいです。

 

もし、いなかったら恥ずかしい言葉だけど

もし、いたら伝えたい言葉。

 

 

ありがとうございます。

こんなに長いのにここまで読んでくれて。

 

 

誰かの心に届くといいな。

(欲張りかな?)

 

 

 

2時間以上、文字を打っていたみたいです。

ちょっと疲れました。

 

でも、一つでも少しでも
何かが伝わればいいな。

 

 

では、また書きます。

 

 

白波 ゆめ

 

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私の母と劣等感の塊の私、それから私の言葉

 

お久しぶりです。

白波 ゆめ です。

 

読んでくれる方がいるかわかりませんが、書きます。

 

 

久しぶりに記事を公開します。

一ヶ月ほどの間は、

記事を書いては保存して、そんなことを繰り返していました。

 

 

 

この記事には、私の個人的な家族のことや私のことが書かれています。

 

どうしても、自分で残しておきたい言葉たちを

この場所を借りて、書こうと思います。

 

自分のこと、家族のことを書くので、興味のない方がいましたら、読み進まなくても構いません。

 

こんな記事でも読んでもいいという方はスクロールして読み進めてください。

 

長くなってしまったので、読む方は暇な時間に読むことをおすすめします。

 

 

 

まず私の母のこと。

 

 

母親とは 不思議な存在 だといつも思う。

 

何があってもいつも側にいてくれている。

 

 

母の日には、何もできなかった。

働くことができなくて、お金もないため、何もあげられなかった。

 

 

ありがとう。

その言葉さえ、言えなかった。

 

それでも、母は今日も私の一番、側にいようとしてくれる。

 

 

 

私の母は、強くて、弱い人。


私たち兄弟を必死に守ってくれた。
私たち兄弟を懸命に育ててくれた。

 

 

発達障害 を抱えてる子供、4人を育てるのは、本当に大変な毎日だったんだろうな…

+ 私の父も発達障害者。

 

母は、とても苦労してきたと思う。

きっと私の想像以上に…


病気が発症するくらいだから、無理をしすぎた日々だったんだろう。

 

 

気分が落ち着いている今なら、そう思えるのだけれど、それすら思い出せなくなることが最近は、毎日のことだから、母を困らせてばかりだ。

 

 

私は、両親と9年ほど別居して、
祖父母の家で育ててもらった。

 

久しぶりに両親と一緒に暮らし始めたのは

高校3年生になってからのことだった。

 

 

小学3年生から9年間は祖父母と暮らしていたから、時々、母が祖父母の家に顔を出しても、上手くコミュニケーションを取れないことが多かったような気がする。

 

でも、母と別居していた頃の方が、

母との距離はちょうどよかった。

 

距離といっても、母がいる場所と私がいる場所の距離ではなくて、

心に余裕が持てるくらいの距離 という意味ですよ。

 

一緒に暮らすようになってからは

母との距離が近すぎて、

心に余裕が無い私は

最近は、なりたくなかった自分になってしまった。

 

苛立ちをいろんな言葉で当たり散らしてしまう。

声が大きくなってしまう。

声を荒げてしまう。

パニックになれば、自分に矛先を向ける。

それが、相手を傷つけることもあるのに…

 

言葉で人を傷つけること

 

そんなことをしてしまう自分に自己嫌悪。

自分に苛立ちを抱いて、

 

自分にも人にもぶつけては駄目だと言われて

 

どうしたらいいのかわからない感情。

どこにも持っていけない言葉。

 

そういうものばかりが自分の中で膨れ上がっていってしまう。

 

 

あくまでも私の場合だけれど…

 

毎日、同じ家で暮らしていると、相手のことを考えてあげられる余裕すらもなくなってしまうの。

 

 

 

ありがとう。

感謝の言葉を投げかける事が簡単にできない。

 

ごめんなさい。

そんな謝罪の言葉だけは簡単に出てくるのに…

 

 

 

いつも 生まれてきてよかったのかな?

そう思うの。

 

いつも こんな自分があなたの子供でよかったのかな?

そう思うの。

 

 

上手く生きられない。

 

周りと同じようにできない。

 

周りと違って、

迷惑ばかりかけてるようで

 

胸が苦しくなる。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。

 

こんな私が娘でごめんなさい。

 

そんな言葉ばかり頭を埋め尽くすの。

 

 

ただ、周りの人と同じように

高校を卒業した後は、独り立ちして、

社会人になって働いたり、

学生になって、学校に行ったり、

勉学に励んだり…

 

自分には出来ないことばかり。

周りの人はもっと頑張ってるのに

私は頑張れない。

 

毎日、病気と闘っている。

自分の生まれ持った障害とも向き合わなきゃいけない。

 

 

毎日、弱い自分と闘ってる。

そんなことしか出来ない。

 

 

でも、やっぱり両親や家族には、何もできない。

 

あんなに好きだった勉強もできない

あんなになりたかった学生にもなれない

 

でも、病気や自分の障害と上手く付き合っていけるようになったら、良くなったら、、

 

待ち受けてるのは、普通になること。

周りと同じようになること。

働いたり、勉強したり、そういう日々が待ってるのだと思う。

 

両親は、今のままでも、

見捨てないでいてくれてるけれど、

 

今のままではいられない。

 

 

普通の暮らしを出来るようになれた時

きっと、家族以外にも今以上に迷惑をかけてしまう。

 

きっと、今の自分では乗り越えない壁にもぶち当たる。

 

 

普通になること。

周りと同じようになること。

 

それが今では怖い。

 

自分が普通ではないと言われ続けてきた

そんな自分には難しいことも、

周りの人たちは難なくこなしている。

 

そんなふうに劣等感ばかり抱いてる。

 

 

もしかしたら、周りの人だって苦労してるかもしれない。

 

できない事があるのは周りの人も同じなのかもしれない。

 

 

それでも、私にはブランクがある。

埋められない2年間がある。

何もできない自分がいる。

前に進めているのか確かめることもできない。

 

ここまでは自分のことばかり書いてしまったけれど…

 

 

病院の先生にお薬をもらって、やっとのことで生活している私は、最近こんなことをよく考える。

 

 

こんな自分でも

誰かのために、何かできることはないのかな?

 

こんな自分でも

誰かのためになれないかな?

 

こんな自分には何もできないのかな?

 

 

なにか、何か、無いのかな?

 

一つでも、たった一つでも無いのかな?

 

こんなにも劣等感を抱いている自分でも

 

似ている障害を抱えている人や同じような病気を抱えている人の側に寄り添える言葉を紡げないかな?

 

 

何か意味があるんだ。

こんな自分になったのは、きっと理由がある。

 

そう思いたいし、そう信じたい。

 

 

だから、日々、自分の言葉と自分の状態と向き合っているのかな?

 

なんてね。 

 

 

 

 

もしも、ここまで読んでくれた方がいましたら、

 

こんなに長いのにこんな自分の言葉を一つ一つ読んでくれてありがとうございます。

 

いなかったら恥ずかしい言葉だけれど 

 

それでも、ありがとうございました。

読むのお疲れ様でした。

いつも長くなってしまうの、、

 

 

それでは、また書きますね。

 

 

白波 ゆめ

 

 

 

私が失くした''当たり前''と私の言葉

 

「当たり前と思ってたこと」
それが奪われた時、それを失くした時に私は
その時、やっと今までの当たり前に感謝して、その時にやっぱり後悔するんだなぁ。
 
そして、その当たり前を取り戻すとまた「当たり前にあるもの」のありがたさを忘れてしまうのかな。
 
車椅子に乗っている私はそんなことを思った。
 
ショッピングモールに行くと
当たり前のように、靴を履いた足を床に置いて立っている人や歩いている人、走っている子供たちがいた。


そういう、自分が昨日まで出来ていたこと、それが当たり前に出来ている人が心底羨ましかったの。
 
今の自分が出来ないことがただとても悔しかった。

 

 

歩けなくなって、

一人で自由に歩いて写真を撮りに行けなくなった。

 

歩けなくなって、

自分が手にしたいものを取りに行けなくなった。

 

歩けなくなって、

自分が行きたい場所に行けなくなった。

 

 

全てを周りに頼らなければいけなくなった。

 

 

自分自身の力で歩くのも物を持つのも体を動かすのも難しくなった。

母親がしてもらう事がとにかく増えた。

 

 

自立を目指してた自分には、それがあまりにも絶望的だった。

 

ただただ自分を責めた。

周りが責めなくとも

周りが大事に至らなかったらことで安心してくれても

周りが謝らなくてもいいと言ってくれても

 

ただ自分が自分を責めている。周りに謝り続けている。今も。

 

悔しかった。

あんなに自分で出来ることが

少なくなってしまっていたのにも関わらずほとんどの自由を失ったことが。

 

悲しかった。

たった1つの出来事でここまで失うものが沢山あるものなんだと身をもって知ったから。

 

みんなとの差がもっともっと広がったことで悔しいやら、悲しいやら、苦しいやら、憎らしいやら、辛いやら、腹立たしいやら、、と色々な感情がぐるぐると周る。頭の中を支配している。

 

自分を大切にできないと、ここまでたくさんの物を失うんだと、改めて感じた。

 

 

 

あんなに自分を大切にしてほしい と色々な人が言葉をくれたのに…。

 

 

 

自分が自分自身を大切にすることがこんなにも難しいものなんだ。と思い知った。

 

 

桜。春に咲く花たちを一枚の写真に

何枚もの写真に残したかった。

 

写真を撮ることが大切なことだったと気づいた。

写真を撮る時間が大切な時間だったと改めて思った。

 

だから、歩いて自分が行きたい場所へ、

自分が撮りたいものを見つけられるところに行けるように歩けるようになることから始めようと思ったの。

 

 

家でするリハビリはきっと病院でするよりも時間がかかる。

 

足を床につくたびに激しい痛みに襲われて、

それでも歩くのだ。

歩きたいのだ。

と強く言い聞かせて、痛みに耐えながら、母に肩を貸してもらいながら、また歩けるようになることをとにかく強く望んでいるの。

 

 

大丈夫、私にだって、

こんなに弱くたって、

出来る。

周りの力を借りながらだけれど、

今まであまり頼らなかった周りに頼れる機会で

 

周りの優しさに周りの温かさに

周りの愛に気づけた。

 

そんな出来事だったの。

 

いくら悔しくても、痛くても、悲しくても、辛くても、そういう時じゃなければ、

 

弱くなった時じゃなければ、

 

周りの人のありがたさを自分自身で感じることはなかなかないのだから。

 

今は周りの家族や友達、そういう大切な人たちに頼ろう。と思っているの。

 

今じゃなきゃ…今だから…

周りの環境に、誰かの周りの温もりに、

気づけるのだと勝手に一人で納得している自分がいるのだ。

 

 

周りの景色がモノクロに暗く感じても

きっと周りの人たちが

その視界に暗くなってしまった自分の世界に

色の彩りと光を入れてくれると信じて…

 

頑張れるところまで行ってから頑張ればいいのだ。と言ってくれた人の言葉を信じて。

 

今は耐え続けよう。

きっと耐えられるよね…

 

 

もし、ここまで読んでくれた方がいたなら。

 

ここまで読んでくれてありがとうございました。

読むのお疲れさまでした。

 

 

また書きますね。

 

白波 ゆめ

私の考え事と私の言葉 ~星の王子さまを読んで~


今日、私の大切な友達にもらった


星の王子さま 」という本を読んでみたの。


読んでいて、心が苦しくなって、涙が止まらなくなったから途中で本を閉じて机の上に置いてしまったけど、、それでも、


子供と大人。

この本を読んでなんとなくだけど、
改めてその差に違いに気づいたんだ。

 

大人になってしまったことが

なんだか悲しくなって、たくさん涙が溢れてきたの……。

どうして大人になってしまったんだろう?と

 


これから書くことは、私の個人的な考えが書かれているの。ただの私の考え事。

それにすごく長くなってしまった。

それでも読んでもいいよって人だけスクロールしてください。

読むのにきっと時間がかかってしまうと思うから、暇な時、時間が空いている時に読んでください。

 


今はもう子供の頃の記憶を思い出すことが難しくなってしまった。(なんとなく思い描いてイメージすることはできるけど…)

たとえば、

どんな考え方をしていたのかとか
どんな子供だったのかとか
どんな子と遊んでたのかとか
周りの光景や自分が見ていた景色を、人の顔を、自分の記憶と呼べる映像を。

そういうことを思い出せない。という意味。


ここからは、子供の頃の微かな記憶を頑張って思い出して、思い描いて、客観的にどんな感じだったのか考えてみようと思うの。


それでも、子供の頃は、きっと何も考えずに自由に思うがままに素直を行動できたのかな?とふと思い描いてみた。


好きなように絵を描いた。

下手とか上手とか考えずに思うがままに絵を描いた。 のだと思う…


昔描いた絵を見てそう思った。

 

自然に生きている生き物を昆虫を触ってた頃があった。

きっと昆虫を触ってもザリガニや魚を触っても平気だった のだ。

蝉やクワガタ、ザリガニ、蛙、亀、魚、いろいろな生き物をウキウキしながら家に持って帰って

虫かごに入れたり、観察したり、食べ物をあげたり、命の終わりを知ったり…その終わってしまった命を土に埋めて、簡単な墓を作った。

この世界の小さな世界に
ただ惹かれてただけ。 なのかもしれない…


今ではもう、その命のことより、生き物の形や生き物のことを怖いとか触りたくないとか
大人みたいな考え方でしか見れなくなってしまった。

 


絵本を読んでもらったりしていた頃より

自分で本を読めるようになった頃のほうが

大人に近づいていたと思う。

 

自分で読めるようになって、やっと

書いてある文字が何て書いてあるのか
どんな意味の言葉が書いているのか
その絵本の絵が何を意味しているのか
この本の言葉が何を伝えたいのか


そういうことが分かるようになった。 のかもしれない。

 

もしかしたら、周りの大人にいろんなことを教えてもらうこと。

それは、自分に知識や知恵がつくこと。

その反面、子供の頃の自分の感性や子供の頃の自分の考えがなくなっていくこと。 なのかも?

 

とくに、勉強した訳ではないけど、
本を読むことをするようになってから
いろいろ考えるようになった。

人間のこと。

人間の心のこと。

このふたつ。
それ以外にもたくさん考えるけど、
根本的には、このふたつのことを考えるのだと思う。

 

自分が人間だから

周りも人間だから

雀や馬や熊などの動物ではないから

花や木などの植物ではないから


人間のことばかりを考えてる。

それが悪いことなのか良いことなのかははっきり決められないと思う。


仮にも良いことなら私の頭には

動物のことや植物のこと自然界のことを考えなくてもいいの?という疑問が浮かぶ。

逆に悪いことなら

自分のこと、家族のこと、兄弟のこと、友達のこと、周りの人のことを考えなくてもいいの?とも思う。


話が逸れてしまったけど、文字を書いて消すのはもったいないから消さないでおくよ。


子供と大人。

その違いにその差に気づいたと冒頭で言ったと思うけど、


子供は、大人と比べて
小さな身体で生きてきた年月も少ない。
考え方や感性も大人が理解できないところもある。
それでも、大人よりも素直で真っ直ぐで小さな身体だけど、前に進む力がある。子供の感性は自由で果てしなく可能性がある。と勝手に思ってる。


大人は、いや私は、子供がしない足し算をしている。

よく余計なことを考えてしまうことも多くて、素直に考えたことを人に伝えないで、伝えなきゃいけないことを伝えないで、相手の考えを勝手に決めつけて、勝手に考えて…


もし、こう言ったらこんなふうに言われるかもしれない。

もし、こう言ったらこんなふうに思われるかもしれない。

もし、こう言ったらあんなふうに言われてしまうかもしれない。

もし、こう言ったら嫌われるかもしれない。

もし、こう言ったら批判されるかもしれない。

もし、こう言ったら否定されるかもしれない。

もし、こう言ったら傷つけてしまうかもしれない。

もし、こう言ったら自分も傷ついてしまうかもしれない。

マイナス思考やネガティブ思考を足して足して足してしまっている。

 

後悔先に立たず。


後悔するくらいなら伝えればよかった、言えばよかった。と思うことを足していって、積み重なって、繰り返してしまうの。


もしかしたら、私だけそんなことを考えているのかもしれない。

でも、誰かが読まなくても、忘れないように、綴って残しておこうと思ったんだ。

 

大人になると、子供の頃みたいに、物事を思うままに口にできなくなる。ような気がする。

仕事でも
学校でも
家庭でも

人間関係が難しくてしょうがないのは、相手に自分の思いや気持ち、考えを伝えることがうまく出来ないから、その自由がないことがあるからなのかも。とよく考えてた。

 

自分の考え、思いや気持ちを

受け止めようとしてくれる人とそうじゃない人。

理解してくれようとする人とそうじゃない人。

きっとふたつに分かれてしまう。

(どんなことでもふたつに分かれてしまうことが多いと思う。中途半端に真ん中って言うのもあるけれど)

 

自分でも、そのふたつのどちらかの側になることが多々ある。


私はこの四つ全てに当てはまった事がある。


受け止めようと努力できた時も
理解しようと耳を傾けられた頃も

でも、それは大分、前のことかもしれない。

 

今では、そうではない人になってきてしまってる…。


周りに目を向ける余裕も余力も無くて、

今はただ、自分のことで精一杯で、
自分から他の人の気持ちや考えをうまく受け止められなくなってる。


こんな自分でいいのかな?

まっすぐに人の声を人の言葉を
聞こうとしてたかな?

耳を塞いだり、壁を作ったりして
まっすぐ受け止められないでいるよ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

なんだか文章を書くこと疲れてしまったので、途中ではあるけれど、終わります。
(かれこれ1時間半は文字を打っていたみたい…)


もし、ここまで読んでくれた方がいましたら、こんなに長く書いてしまったのに、読んでくれてありがとうございました!

 

読むのお疲れ様でした。

また書きますね。

 


白波 ゆめ

*一昨日と昨日の私の話と私の言葉*

 

今回書くのは

一昨日(3.23)と昨日(3.24)の私にとっては大きな出来事について。 

 

脱力状態になった話。

 

長くなると思うので、読もうと思ってる方がいたら、時間のある時に読んでください。

 

 

一昨日の話。

 

  

一昨日の夜、母と買い物をした時、

買った物を詰め込んだ袋をひとつ落としてしまったの。

 

 

頭の中は、どうしよう、どうしようって

パニックになったまま、

失敗しちゃった、ごめんなさい。ごめんなさい。っていいながら、

引きつった頬をどうにかしようと作り笑いをして、震える手でおかずが崩れてしまった弁当と袋の中で崩れてしまった食べ物を出して、整えてから入れ直した。

 

たったそれだけの数分で

私の頭の中は大パニックを起こしてたみたい。

 

 

袋にすべて入れ直してから、立ち上がって歩きだそうとしたら、足から力が抜けて、崩れ落ちてしまった。

 

 

昨日は、大して身体に大きな影響はなかったから、しばらく動けずにいたけど、ちゃんと自分で立ち上がれたんだ。

 

 

たったそれだけのことかもしれない。

それでも、十分たくさん私の身体は頑張ってたんだ。

 

 

 

この脱力症状が現れたのは

 

ちょうど中学生のある時期から

 

ショックを受けた時

頭が混乱した時

心的ストレスを受けた時

ストレスを感じた時

疲れきった時

恐怖を感じた時、、

 

そういう心や身体に大きな負荷がかかった時、

身体に影響して、症状が出るようになった。

 

 

 

身体の全身に脱力症状が出たときは

 

 

足の先から手の先まで身体の全部の力が抜けてしまう。

 

 

立つこともできなくなる。

 

ひどくなったときは

 

一ヶ月歩けなくなったこともあったんだ。

 

 

 

当たり前 を失くしたとき

 

 

そのとき初めて歩けるってことに感謝した。

 

力が入ることにも感謝した。

 

 

倒れるといつもその時のことを思い出すの。

 

 

 

今度は、昨日(3.24)の話。

 

 

昨日、家族の一人が入院してる病院に

 

見舞いに行った時、

 

手術を受けないで

家に帰るって

頑なに言い続ける

車椅子無しでは動けなくなったおばに

手術を受けてもらいたくて

手術を受ければ、今よりも症状が軽くなる。

その何パーセントかの可能性にすがりつきたかった。

 

 

どうしたって

おばが抱えてる3つの病気も

おばの気持ちも

変えられないのにね。

 

いくら頑張って言葉を並べても

変わらない現実に

なんていう名前をつければいいのかわからない感情に襲われて、その場で倒れた自分が無力で涙が出た。

 

 

ショックだったのか

 

気持ちが伝わらなくて悲しかったのか

 

どうしたって変わらない現実に絶望したのか

 

どういう思いでいたのかなんて

その時も今もわからなくて、

 

それでも、倒れた時、涙がたくさん溢れ出してきたのはわかった。

 

手も腕も上げられないから、

止まらないで零れてくる涙を拭いてくれたことも

大丈夫だよ。って手を握って安心させてくれたことも

私の心の奥に隠してた暗い気持ちに少しの光をくれたことも

 

 

おばあちゃんの優しさに

お母さんの気遣いに

 

なんだかほっとして、なんだか嬉しくて、

また涙が零れて止まらなくなった。

 

 

倒れたあとは

病院の車椅子を借りて

看護師さんが脈計ってくれて

車椅子に乗せてくれたの。

 

 

お見舞いに来たのに

自分も車椅子に乗るなんて情けないな。と思いながら、久しぶりに車椅子に乗って過ごした。

 

 

''ありがとう''って何度も思って

伝えられた言葉は少しだけ。

 

それでも、ちゃんと''ありがとう''は言えたからよかったなぁ。なんて思ったんだ。

 

 

入院しているおば は、きっと

自分の人生だから自分で選んだのだ。と

そう思うようにして、自分の思いを押しつけないで見守ろうと思うの。

 

 

 

なんだか眠たくて、文章がうまくまとまっていないかもしれないです…

 

(この文章は、今日はもう日付が回ってしまったのですが、3月25日に書いた文章でした。)

 

長くなってしまったから

そろそろ終わります!

 

最後まで読んでくれた方がいたら

読んでくれてありがとうございました。

 

読むのお疲れ様でした。

 

 

では、また

 

 

白波 ゆめ🌟