*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

私の考え事と私の言葉 ~星の王子さまを読んで~


今日、私の大切な友達にもらった


星の王子さま 」という本を読んでみたの。


読んでいて、心が苦しくなって、涙が止まらなくなったから途中で本を閉じて机の上に置いてしまったけど、、それでも、


子供と大人。

この本を読んでなんとなくだけど、
改めてその差に違いに気づいたんだ。

 

大人になってしまったことが

なんだか悲しくなって、たくさん涙が溢れてきたの……。

どうして大人になってしまったんだろう?と

 


これから書くことは、私の個人的な考えが書かれているの。ただの私の考え事。

それにすごく長くなってしまった。

それでも読んでもいいよって人だけスクロールしてください。

読むのにきっと時間がかかってしまうと思うから、暇な時、時間が空いている時に読んでください。

 


今はもう子供の頃の記憶を思い出すことが難しくなってしまった。(なんとなく思い描いてイメージすることはできるけど…)

たとえば、

どんな考え方をしていたのかとか
どんな子供だったのかとか
どんな子と遊んでたのかとか
周りの光景や自分が見ていた景色を、人の顔を、自分の記憶と呼べる映像を。

そういうことを思い出せない。という意味。


ここからは、子供の頃の微かな記憶を頑張って思い出して、思い描いて、客観的にどんな感じだったのか考えてみようと思うの。


それでも、子供の頃は、きっと何も考えずに自由に思うがままに素直を行動できたのかな?とふと思い描いてみた。


好きなように絵を描いた。

下手とか上手とか考えずに思うがままに絵を描いた。 のだと思う…


昔描いた絵を見てそう思った。

 

自然に生きている生き物を昆虫を触ってた頃があった。

きっと昆虫を触ってもザリガニや魚を触っても平気だった のだ。

蝉やクワガタ、ザリガニ、蛙、亀、魚、いろいろな生き物をウキウキしながら家に持って帰って

虫かごに入れたり、観察したり、食べ物をあげたり、命の終わりを知ったり…その終わってしまった命を土に埋めて、簡単な墓を作った。

この世界の小さな世界に
ただ惹かれてただけ。 なのかもしれない…


今ではもう、その命のことより、生き物の形や生き物のことを怖いとか触りたくないとか
大人みたいな考え方でしか見れなくなってしまった。

 


絵本を読んでもらったりしていた頃より

自分で本を読めるようになった頃のほうが

大人に近づいていたと思う。

 

自分で読めるようになって、やっと

書いてある文字が何て書いてあるのか
どんな意味の言葉が書いているのか
その絵本の絵が何を意味しているのか
この本の言葉が何を伝えたいのか


そういうことが分かるようになった。 のかもしれない。

 

もしかしたら、周りの大人にいろんなことを教えてもらうこと。

それは、自分に知識や知恵がつくこと。

その反面、子供の頃の自分の感性や子供の頃の自分の考えがなくなっていくこと。 なのかも?

 

とくに、勉強した訳ではないけど、
本を読むことをするようになってから
いろいろ考えるようになった。

人間のこと。

人間の心のこと。

このふたつ。
それ以外にもたくさん考えるけど、
根本的には、このふたつのことを考えるのだと思う。

 

自分が人間だから

周りも人間だから

雀や馬や熊などの動物ではないから

花や木などの植物ではないから


人間のことばかりを考えてる。

それが悪いことなのか良いことなのかははっきり決められないと思う。


仮にも良いことなら私の頭には

動物のことや植物のこと自然界のことを考えなくてもいいの?という疑問が浮かぶ。

逆に悪いことなら

自分のこと、家族のこと、兄弟のこと、友達のこと、周りの人のことを考えなくてもいいの?とも思う。


話が逸れてしまったけど、文字を書いて消すのはもったいないから消さないでおくよ。


子供と大人。

その違いにその差に気づいたと冒頭で言ったと思うけど、


子供は、大人と比べて
小さな身体で生きてきた年月も少ない。
考え方や感性も大人が理解できないところもある。
それでも、大人よりも素直で真っ直ぐで小さな身体だけど、前に進む力がある。子供の感性は自由で果てしなく可能性がある。と勝手に思ってる。


大人は、いや私は、子供がしない足し算をしている。

よく余計なことを考えてしまうことも多くて、素直に考えたことを人に伝えないで、伝えなきゃいけないことを伝えないで、相手の考えを勝手に決めつけて、勝手に考えて…


もし、こう言ったらこんなふうに言われるかもしれない。

もし、こう言ったらこんなふうに思われるかもしれない。

もし、こう言ったらあんなふうに言われてしまうかもしれない。

もし、こう言ったら嫌われるかもしれない。

もし、こう言ったら批判されるかもしれない。

もし、こう言ったら否定されるかもしれない。

もし、こう言ったら傷つけてしまうかもしれない。

もし、こう言ったら自分も傷ついてしまうかもしれない。

マイナス思考やネガティブ思考を足して足して足してしまっている。

 

後悔先に立たず。


後悔するくらいなら伝えればよかった、言えばよかった。と思うことを足していって、積み重なって、繰り返してしまうの。


もしかしたら、私だけそんなことを考えているのかもしれない。

でも、誰かが読まなくても、忘れないように、綴って残しておこうと思ったんだ。

 

大人になると、子供の頃みたいに、物事を思うままに口にできなくなる。ような気がする。

仕事でも
学校でも
家庭でも

人間関係が難しくてしょうがないのは、相手に自分の思いや気持ち、考えを伝えることがうまく出来ないから、その自由がないことがあるからなのかも。とよく考えてた。

 

自分の考え、思いや気持ちを

受け止めようとしてくれる人とそうじゃない人。

理解してくれようとする人とそうじゃない人。

きっとふたつに分かれてしまう。

(どんなことでもふたつに分かれてしまうことが多いと思う。中途半端に真ん中って言うのもあるけれど)

 

自分でも、そのふたつのどちらかの側になることが多々ある。


私はこの四つ全てに当てはまった事がある。


受け止めようと努力できた時も
理解しようと耳を傾けられた頃も

でも、それは大分、前のことかもしれない。

 

今では、そうではない人になってきてしまってる…。


周りに目を向ける余裕も余力も無くて、

今はただ、自分のことで精一杯で、
自分から他の人の気持ちや考えをうまく受け止められなくなってる。


こんな自分でいいのかな?

まっすぐに人の声を人の言葉を
聞こうとしてたかな?

耳を塞いだり、壁を作ったりして
まっすぐ受け止められないでいるよ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

なんだか文章を書くこと疲れてしまったので、途中ではあるけれど、終わります。
(かれこれ1時間半は文字を打っていたみたい…)


もし、ここまで読んでくれた方がいましたら、こんなに長く書いてしまったのに、読んでくれてありがとうございました!

 

読むのお疲れ様でした。

また書きますね。

 


白波 ゆめ