*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

私の母と劣等感の塊の私、それから私の言葉

 

お久しぶりです。

白波 ゆめ です。

 

読んでくれる方がいるかわかりませんが、書きます。

 

 

久しぶりに記事を公開します。

一ヶ月ほどの間は、

記事を書いては保存して、そんなことを繰り返していました。

 

 

 

この記事には、私の個人的な家族のことや私のことが書かれています。

 

どうしても、自分で残しておきたい言葉たちを

この場所を借りて、書こうと思います。

 

自分のこと、家族のことを書くので、興味のない方がいましたら、読み進まなくても構いません。

 

こんな記事でも読んでもいいという方はスクロールして読み進めてください。

 

長くなってしまったので、読む方は暇な時間に読むことをおすすめします。

 

 

 

まず私の母のこと。

 

 

母親とは 不思議な存在 だといつも思う。

 

何があってもいつも側にいてくれている。

 

 

母の日には、何もできなかった。

働くことができなくて、お金もないため、何もあげられなかった。

 

 

ありがとう。

その言葉さえ、言えなかった。

 

それでも、母は今日も私の一番、側にいようとしてくれる。

 

 

 

私の母は、強くて、弱い人。


私たち兄弟を必死に守ってくれた。
私たち兄弟を懸命に育ててくれた。

 

 

発達障害 を抱えてる子供、4人を育てるのは、本当に大変な毎日だったんだろうな…

+ 私の父も発達障害者。

 

母は、とても苦労してきたと思う。

きっと私の想像以上に…


病気が発症するくらいだから、無理をしすぎた日々だったんだろう。

 

 

気分が落ち着いている今なら、そう思えるのだけれど、それすら思い出せなくなることが最近は、毎日のことだから、母を困らせてばかりだ。

 

 

私は、両親と9年ほど別居して、
祖父母の家で育ててもらった。

 

久しぶりに両親と一緒に暮らし始めたのは

高校3年生になってからのことだった。

 

 

小学3年生から9年間は祖父母と暮らしていたから、時々、母が祖父母の家に顔を出しても、上手くコミュニケーションを取れないことが多かったような気がする。

 

でも、母と別居していた頃の方が、

母との距離はちょうどよかった。

 

距離といっても、母がいる場所と私がいる場所の距離ではなくて、

心に余裕が持てるくらいの距離 という意味ですよ。

 

一緒に暮らすようになってからは

母との距離が近すぎて、

心に余裕が無い私は

最近は、なりたくなかった自分になってしまった。

 

苛立ちをいろんな言葉で当たり散らしてしまう。

声が大きくなってしまう。

声を荒げてしまう。

パニックになれば、自分に矛先を向ける。

それが、相手を傷つけることもあるのに…

 

言葉で人を傷つけること

 

そんなことをしてしまう自分に自己嫌悪。

自分に苛立ちを抱いて、

 

自分にも人にもぶつけては駄目だと言われて

 

どうしたらいいのかわからない感情。

どこにも持っていけない言葉。

 

そういうものばかりが自分の中で膨れ上がっていってしまう。

 

 

あくまでも私の場合だけれど…

 

毎日、同じ家で暮らしていると、相手のことを考えてあげられる余裕すらもなくなってしまうの。

 

 

 

ありがとう。

感謝の言葉を投げかける事が簡単にできない。

 

ごめんなさい。

そんな謝罪の言葉だけは簡単に出てくるのに…

 

 

 

いつも 生まれてきてよかったのかな?

そう思うの。

 

いつも こんな自分があなたの子供でよかったのかな?

そう思うの。

 

 

上手く生きられない。

 

周りと同じようにできない。

 

周りと違って、

迷惑ばかりかけてるようで

 

胸が苦しくなる。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。

 

こんな私が娘でごめんなさい。

 

そんな言葉ばかり頭を埋め尽くすの。

 

 

ただ、周りの人と同じように

高校を卒業した後は、独り立ちして、

社会人になって働いたり、

学生になって、学校に行ったり、

勉学に励んだり…

 

自分には出来ないことばかり。

周りの人はもっと頑張ってるのに

私は頑張れない。

 

毎日、病気と闘っている。

自分の生まれ持った障害とも向き合わなきゃいけない。

 

 

毎日、弱い自分と闘ってる。

そんなことしか出来ない。

 

 

でも、やっぱり両親や家族には、何もできない。

 

あんなに好きだった勉強もできない

あんなになりたかった学生にもなれない

 

でも、病気や自分の障害と上手く付き合っていけるようになったら、良くなったら、、

 

待ち受けてるのは、普通になること。

周りと同じようになること。

働いたり、勉強したり、そういう日々が待ってるのだと思う。

 

両親は、今のままでも、

見捨てないでいてくれてるけれど、

 

今のままではいられない。

 

 

普通の暮らしを出来るようになれた時

きっと、家族以外にも今以上に迷惑をかけてしまう。

 

きっと、今の自分では乗り越えない壁にもぶち当たる。

 

 

普通になること。

周りと同じようになること。

 

それが今では怖い。

 

自分が普通ではないと言われ続けてきた

そんな自分には難しいことも、

周りの人たちは難なくこなしている。

 

そんなふうに劣等感ばかり抱いてる。

 

 

もしかしたら、周りの人だって苦労してるかもしれない。

 

できない事があるのは周りの人も同じなのかもしれない。

 

 

それでも、私にはブランクがある。

埋められない2年間がある。

何もできない自分がいる。

前に進めているのか確かめることもできない。

 

ここまでは自分のことばかり書いてしまったけれど…

 

 

病院の先生にお薬をもらって、やっとのことで生活している私は、最近こんなことをよく考える。

 

 

こんな自分でも

誰かのために、何かできることはないのかな?

 

こんな自分でも

誰かのためになれないかな?

 

こんな自分には何もできないのかな?

 

 

なにか、何か、無いのかな?

 

一つでも、たった一つでも無いのかな?

 

こんなにも劣等感を抱いている自分でも

 

似ている障害を抱えている人や同じような病気を抱えている人の側に寄り添える言葉を紡げないかな?

 

 

何か意味があるんだ。

こんな自分になったのは、きっと理由がある。

 

そう思いたいし、そう信じたい。

 

 

だから、日々、自分の言葉と自分の状態と向き合っているのかな?

 

なんてね。 

 

 

 

 

もしも、ここまで読んでくれた方がいましたら、

 

こんなに長いのにこんな自分の言葉を一つ一つ読んでくれてありがとうございます。

 

いなかったら恥ずかしい言葉だけれど 

 

それでも、ありがとうございました。

読むのお疲れ様でした。

いつも長くなってしまうの、、

 

 

それでは、また書きますね。

 

 

白波 ゆめ