*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

私の葛藤と私の生きていて伝えたい言葉

 だいぶ長くなってしまったので

 

読もうと思ってくれた方は

暇な時時間の空いている時に読んでいただけると嬉しいです。

 

 

少しでも。ほんの少しでも伝わりますように。。。

 

 

まずは私の話から

個人的なことも触れてますが、、

 

 

伝えたいことを伝えるためにかきました。

 

 

 

 

 

約10年ほど前から

何度も 何度も 頭の中に浮かぶ言葉は

 

 

逃げたい ここから脱げ出したい

どうして ここから居なくなることが許されないんだろう、どうして自分は生きてるんだろう?生かされてるんだろう?

そんな言葉ばかりという疑問に思うと共に

 

生と死のことを何度も何度も行き来して考えて悩んで迷って、それでもここまで命を繋いできてくれて人がいることに感謝の気持ちを抱いてる。

 

 

 

分かってるんだ。

 

この世に存在する意味がなきゃ

この世に存在し得ないことくらい

 

 

それでも

現実は辛くて苦しくてもがいて足掻いて

逃げ出したくなる。

 

 

きっと誰もが闇を抱えてる。

きっと誰もが光を求めてる。

 

 

そんな気がしてならないの。

 

毎日病気、、いや、自分との闘い。

 

葛藤して、

泣いて、

悩んで、

溜め込んで、

抱え込んで、

殻にこもって、

ストレスに耐えきれずに

 

出てくるのは

 

脱力症状。

 

何度も倒れて今月は救急車に2回運ばれてCT検査とMRI検査をした。

 

異常はなかった。

 

それでも、迷惑をかけた。

 

その罪悪感だけで押しつぶされそうだった。

 

その日は眠れなくて3:30頃外に散歩に出かけて考え事をしながら泣きながら、

 

帰る途中駅の前の交差点の近くで

脱力症状が出て身体が地面に叩きつけられた。

 

何度も立とうとして、ポールに掴まって立ち上がれてもまた転倒。それを何度か繰り返してから、頭をコンクリートに打ち付けられてから初めて母親に助けを求めた。

 

出来れば自力で帰りたかった。

皮肉にも脱力症状が

自分が無理をしてると教えてくれる。

 

それでも倒れる度

痣や傷が増えていく。

 

頭を打って脳には異常はなかったけれど

 

頭痛が前よりもひどくなった。

 

出かける時は、

車椅子。

イヤホン、またはヘッドホン。

音楽プレイヤー。

iPhone

お薬。

 

これが無ければ、

倒れると同時にパニックに陥ってしまう。

 

 

正直、どこにもいたくないという気持ちもある。

 

聴覚過敏が生きにくくする。。

 

いつも音に怯えてる。

 

生活音でさえ不快だと怖いと感じてしまう。

好きな音楽と落ち着く音波とか声とか

 

脱力症状で生きにくくなった。

 

一人では生活することが出来なくなった。

介護してもらうことも増えた。

 

鬱だけで生活がままならない。

 

誰かと会話するのさえも怖くなるときもある。

 

数人いる人たちが横を通り過ぎるだけで、人が沢山いる街に行くだけで怖くて恐怖感に苛まれる。

 

 

でも、

音楽が好きでよく聴いているの。

歌うことも歌を聴くことも

言葉も言葉を紡ぐこと綴ることも好き。

お散歩も好きで歩くのも自然の風に触れるのも小さな植物たちに出会うのも好き。

笑うのも誰かとおしゃべりすることだって好き。

 

 

自分にとっていいこと。

ハッピーなこと。

ラッキーなこと

好きなこと。

楽しいと感じること。

ポジティブな考えを持つこと。

 

 

自分にとって悪いこと。

嫌なこと。

不快な思いなること。

不幸せだと辛いと思うこと。

ネガティブな思考だけで

物事を見てしまうこと。

 

 

 

きっとみんなあること。

 

自分にとって

 

いいこと

 

 

悪いこと

 

 

 

でも2、3年前から思い始めてるの。

 

嫌なことがあるのは、自分が成長するためのきっかけ、機会、チャンスなのかも、、って。

 

 

辛いことがあるのは、自分が変わるためのきっかけであって、自分が変わる、成長するチャンスなのかも、って。

 

 

以前、ある人に言われた言葉があるの。

 

辛いことがあったらラッキーなことだと思えって。

 

最初は、

 

そんなの思えないよ。

そんなの出来ないよ。

そう決めつけた。。

 

 

 

 

 

でもやっぱり出来ないって決め付けから物事を見てしまうのはなんだか悲しい。

 

 

 

生きてる中で

逃げたい。

死んでしまいたい。

 

そう思うこと、そう考えてしまうことは、沢山あったし、今でもふと思ってしまうことがある。

 

 

優しい温かい感情が溢れるように

 

悲しい冷たい感情が溢れてくることがあるの。

 

その感情は紙一重なのだと思うの。

 

 

いいこと と 悪いこと

 

長所 と 短所

 

いい所 と だめな所

 

 

そういうのって

ふたつで一つなんだと思う。

 

 

だから、

死にたいという言葉が浮かんでしまうのも

生きたいと願うのも

 

二つで一つ。

 

 

きっとね、生きてるって

 

自分独りでは

出来ない事。

 

世界中の人がいなきゃ今こうして自分は生きてない。

 

例えば、外国産の食べ物、、バナナでもいい、

 

バナナは大抵南国から輸入されてきて店頭に並んでる。

 

例えば、お店や会社で働いてる一人一人がいる。

 

一人一人がそれぞれ抱えてることはたくさんあると思うの。

 

でも、食べ物や欲しいものを買うには店の店員さんやそれを作ってくれる人、並べてくれる人、レジ打ちして商品を計算してくれる人。

 

 

 

一人でも欠けていたら

私は食べたいものも欲しいものも買えないし、着たい服も何もかも手にいられない。

 

 

一人で自分がもし、必要ではない人間だと思っていたとしたら、

 

私は、そう思ったこと感じたことがあるから

何も言えない。

 

でも願ってしまう。

 

生きていて。と

 

死なないでいて。と

 

命を大切にして。と

 

食べられず長く生きれない人も

 

病で長く生きられなかった人もいる。

 

自分は食べられるし、雨風しのげる家もある

好きなものも部屋にある、好きな趣味だってあるしできる。

 

病を抱えて命を大切に抱えて

一日一日一生懸命生きている人も

 

世界中には沢山いる。

どれだけ数の人いるのかは分からないけれど、それでも、私は恵まれてるのだと。

 

見下すわけではない。

でも、そういう人もいるということ忘れないでほしい。

 

生きていられるだけら生かされてる限り生き抜こうと思える。

 

力を勇気をもらえるから。

 

ただ、誰一人として必要とされていない人は居ない。

 

私の場合は

自分が自分を否定してる。

 

ここにいて、

この場所に座ってることを

否定しようとする自分も

 

ここにいて、

この場所で座って

ただ伝えたい言葉を綴ってる自分を

肯定しようとする自分もいるの。

 

 

ネガティブもポジティブも

一緒にあったっていいじゃないか。

って最近思うの。

 

ネガティブな言葉を聞いて

暗くなったり悲しくなるのは良心や優しさを持っている証拠。

 

ポジティブな言葉を聞いて

明るくなったり嬉しくなるのは感情に素直になれてる証拠。

 

 

 

そう思うの。

 

最後に、

辛い時はラッキーだと思えっていう言葉の深い意味は、

 

辛いことや苦しい思いをしてるときには

周りの優しさや温かな気持ち、誰かの心の温もりを感じれるようになれる。

 

苦しい思いをした分、

同じような似たような経験をした人や苦しんでるひとに伝えられる何かを得られる、、それから、今度はきっと誰かのために何かをできるようになる。

優しくなれる。優しさを繋げられる。

 

そういう意味で

辛いときはラッキーだと思えって言われたんだなぁって今では実感してます。

 

 

 

なんだかだいぶ長くなってしまったし、まとまらない言葉ばかりですみません。

 

 

もし、もしも、ここまで読んでくれた方がいたら本当に読むのお疲れ様でした。

読んでいただけて、ありがとうございます。

 

少しでも1mmでも

なにか伝わってほしい。

その一心で1時間書いてました。

指が疲れてしまいました。

 

 

 

最後に海の砂浜に生えてた植物。名前はわからないけれど、生命の強さを感じたので衝動で取りました。

 

 

また書きます。では

 

白波 ゆめ でした🌟

 

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