*私の○○と私の言葉*

自分の思ってること、日常の中で感じたこと、考えたことを綴っていく。

自分整理と私の言葉、それから私の人生のこと。

書き始めたのは、

平成最後の大晦日

最後の平成30年12月31日 でした。

 

※書いている途中で日付が変わってしまい、12月31日に書き終われず、2019年1月1日になりました。

 

ふと急に、文字に残して自分の頭の中と自分の今まで と 今(現在)のこと、それから、記憶のこと 今頭の中で散乱して散らかっているものを全部整理してみたいと思い、はてなブログのアプリを開きました。

 

これから書く事は、意味の無いことかもしれませんが、自分の無意識によって頭の中の記憶や思考が消してしまう前にiPhoneのキーボードでひたすら文字を連ねていこうと思います。

 

もし、私を知らない人がこれを読んだら、自分で言うなよ。おかしい人。と思う人がいるかもしれないです。

それでも書こうと思います。

今年、平成30年はもう終わろうとしているので、自分自身を整理整頓してみよう。と思ったのです。

 

(※この時点で2018年12月31日でした。)

 

以前のように長くなるだろう。と思います。

 

 

まず、自分の頭の中のこと。

 

□ 一つ目、私が考えることについての話。

 

私は毎日一日の半数は考えることをしています。

 

1時間の間に頭がパニックになるほどの量を、毎日、一日のうち計算したことは無いけれど、寝ていない時間の半数は、思考を巡らしています。

 

起きてから寝るまでの間は、止まらない思考と外からのストレスで一日一日起きて生活していることが苦痛で仕方ないです。

 

一日で考えるように内容は、わかりやすく言うと、休日の街中の混雑のように散りばめられ、車が渋滞するように密集しています。

 

ほぼ同時、同じ瞬間に違うことを考え、過ぎり、交差することがあります。

 

大抵、その二つは、双方逆向きです。

1.肯定意見・ポジティブ思考

2.否定意見・ネガティブ思考  のふたつが交差します。

すれ違わずに交通事故のように勢いよくぶつかり自分の心が壊れかけることもよくあります。

 

また、少しのずれが生じるけれど、同時進行で二つのことの考えを巡らすこともあります。

これは、肯定的・ポジティブや否定的・ネガティブに分類できないものです。

 

不安感、恐怖心、SOS、危険、自己防衛、逃避、(特に害がある場合の)予想・妄想憶測、察知、仮定、混乱、疑問、追求、模索…などさまざまで、ほとんどが同じ時間に共存しています。

 

濁流に巻き込まれるような恐怖、竜巻に吸い込まれるような恐怖、波に呑まれるような恐怖、地震や災害から避難するような逃避、赤いランプやブザーで危険を知らされたような不安感、目の前に飛び込んできたものから守ろうと反射的に瞼が閉じるような自己防衛、それから時々、未来や過去の時間に喰われたような自分がいたりもします。

 

どうして自分のなかに苦しい、つらい、しんどいという感情があるのか、どうしてあり続けているのか、その理由はなんなのか、

自分はなんなのか、存在している理由、意味、価値、影響、恐怖するのはどうしてなのか、

不安がどこから出てくるのか、

膨大な記憶が消えるのは自分が馬鹿だからなのか、

自分のなかの記憶が何故消えていくのか、

どうして覚えていられないのか、

どうして生活できるくらいの知識と記憶だけしか残らないのか、

どうして自分を消したいのか、

どうしてこの場にいるだけで苦痛だ。と感じてるのか、

どうして自分は精神が病むのが早かったのか、周りとの温度差が大きいのは自分のせいなのか、

自分が全て悪いはずなのにどうして周りが怖いのか、

どうして自分は傷つくのが死ぬほど怖いのか、苦しむことが怖いのか、

どうして耐えてるのか、

どうして耐えてられているのか、

どうして自分はこんなに弱いのか、

どうして強くなれないのか、

どうして変われないのか、

どうして周りと違いすぎるのか、

どうして周りに合わせられないのか、

どうして孤立するのか、

どうして自分から孤立しようとするのか、

どうして壁をつくるのか、

どうして自分を守ろうとするのか、

どうしてこんなに自分は落ちこぼれなのか、

どうして未来と過去に怯えてばかりなのか、

どうして現在を生きれないのか、いま目の前にあることだけに集中出来ないのか、

どうしていつも人を巻き込むのか、

どうして振り回されてると感じるのか、

怖いと感じるのがどうして人間なのか、

不安なのは自分だけじゃないのにどうして周りが見えなくなるのか、

どうして自分がいる場所や自分が何者なのかが分からなくなるのか、

どうして知っていた人を知らない人だと認識してしまう時があるのか、

どうして知っていたはずの場所を知らないと感じるのか、

どうして人間に恐れを抱いているのか、

気候や生活上に当たり前のようにある音 自分の外にあるもの全てに怯えるのは、恐怖を抱くのはどうしてなのか、

 

もっとあるけれど、これは、ほんの一部。

どうして

どうして…

 

キリがないのは分かっていても、考えることを止めたくても、毎日、一日一日、ずっと休むことなく、思考は止まらない。

 

解決するのにはどのくらい時間がかかるのか…

 

 

もしも、これを読んでいてくれる人がいるとしたら、きっとこの時点で、私がかなりおかしいと感じる人もいるのかな。

 

 

□ 二つ目、言葉についての話。

 

生きている場所には自分(個人)以外の人の言葉と自分の言葉が存在しています。

 

私は、言葉が怖いとよく思っています。

それと同時に言葉は凄いとも思っています。

 

恐怖と不安、傷も苦痛も

安心と安定、癒しも平穏も

 

ネガティブな言葉は、ネガティブな行動へ

ポジティブな言葉は、ポジティブな行動へ

それぞれに影響されて、物事は成り立ってるのだから。

 

「考えすぎだ。」

「心配しすぎだ。」

「考えすぎるのは良くない。」

「どうしてそんなに考えすぎるんだ」

「あなたが理解できない。」

「嫌い。」

「どうして分からないんだ。」

「あなたには出来ない。」

 

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ずっと謝ってる。

 

「無理しないで。」

「大丈夫だよ。」

「私は味方だよ。」

「ゆっくりでいいんだよ。」

 

他にもあるのかな…思い出せないけれど、温かい言葉も受け取れてたかな。

 

精神的に苦痛に変わる言葉。

少しの安堵に変わってくれる言葉。

 

生きているなかで、いろんな人に自分へのそれぞれの言葉を受け取りました。

 

そのなかでも、自分の生き方、行い、物事の捉え方、考え方、行動の仕方・その行動の理由、私の生活習慣、生活の仕方、生活のリズム…などの自分自身の内面または外面への言葉が多かったように思いました。

 

ただうっすらぼんやり覚えていることがそれらだけだったのかもしれませんが、私にとっては、きっと大きなことなのだと感じています。

 

言葉は、今でも怖い。

発する前に躊躇して、閉まって、忘れて、気づかないうちに消えていく。

 

言葉は、怖い。

人の心を傷つける。

自分の心を傷つける。

 

臆病すぎるのだと自覚はしているし、言葉を上手く使えないのも自分を消したくなるくらいに落ち込むほど自覚している。

よく伝わらない言葉を使ってしまう。

 

こう伝えたい というのに、そのまま伝わらない。

心のままの言葉をまっすぐに堂々と使えない。

ただ、自信がなく、劣等感の塊でしかないからだ。

 

□ 三つ目、過去の話。

 

私は正直、21年間の人生で覚えていることは、何もかもが自分を蝕んでいるもの。

 

心が脆く壊れやすかった自分、苦痛に感じるもの、トラウマ、ストレス、それらに耐えられない弱く情けない自分、馬鹿みたいに信じやすく、馬鹿みたいに傷つきやすい自分、迷惑をかけてばかりの自分、責め立てる自分、外側からの物理的攻撃、心理的攻撃あるいは否定、批判、同調、、もっと、何もかもがネガティブな感情、ネガティブな行動、嫌なものしかありません。

 

きっと人生というのだから、何処かには良いこともあったのだろうなぁと他人事のようにいつも感じます。

 

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画像は、急に過ぎった過去の数秒の記憶の映像をそのまま書き連ねたもの。

一斉に押し寄せてきたときに泣きながら書いていました。

 

□ 四つ目、現在の話。

 

現在は、ネガティブとポジティブ、7:3くらいでしょうか。

 

ネガティブ9割の自分の人生には、この上ない怖いくらいに幸せなまだ半年にも満たないけれど、長いようで短い時間を送っています。

 

2018年はきっと、人生で初めて大きな転機が起きました。

過去の自分も家族も誰も想像すらしなかった、想像出来なかった未来になりました。

 

けれど、その中にネガティブは7割あります。

 

全部、自分の中に原因があるから、少しずつ変わらなくては、強くならなくては、と毎日、同じことを言い聞かせています。

 

きっと、私はまだ戸惑ってるのだと思います。

 

私が幸せだと素直に感じていること

それを言えること

私が''自分''で居られる場所があること

私が私らしく生きれる場所があること

それらにとても困惑し、自分が感じたことがないことを今感じれていることに戸惑う自分がいる。

 

私にとっての目の前の幸せが大きすぎて、それを失うことに恐怖していること

幸せだと感じるたびに癒えていく傷と刻まれた傷が大きくぶつかっていること

私が幸せを感じていいのか?良くないだろ?幸せになってはいけない と自分を否定し続ける自分が責め立てること

 

初めてでした。心の底から今を幸せだと言えること、心から今の時間を大切に思えること、それが初めてだったから。

 

幸せと共に味わうものが不安だということ。

過去に縛られている私は、幸せだと感じる時、それと同時に過去が責め立てられるのを初めて知ったのでした。

 

きっと今が一番自分が変われるチャンス。

 

今までもそういう機会があったのだと思うけれど、今までの人生の中で今がきっと一番変われる、自分を変えられる、チャンスなのだろう。となぜか断言してしまう自分がいます。

 

□ 五つ目、これからの未来の話

 

自分自身と向き合う。今も過去の自分も自分から逃げているから。

自分自身と向き合えたら、次は、大切な人、一人一人と向き合う。

今まで近くにいた人、離れていった人、今近くにいる人、私を大切にしてくれてる、そう感じる人、、

それができたら、きっと次は、私を嫌う人、私を軽蔑する人、私を許さない人、私を許せない人、私を憎んでいる人、私が苦手と感じる人、私が怖いと感じる人、私が恐怖する人、全てに向き合えるはず。

 

少しずつ、ゆっくりでも、近づけるように、偽善でもなく、綺麗事でもなく、私が今持っていなくて、私に最も必要なこと。

 

それは逃げずに向き合うこと。

向き合おうとする気持ちを行動に変えること。

きっとそれだけなんだ。

 

□ 六つ目、私の頭の中で消えた記憶と今だから思えることの話。

 

私は、自分の記憶が消えるように思い出せなくなることを、自分の中で頭の中の消しゴムがひたすら消している状態、と考えるようにしています。

 

私は、記憶がすぐ消えます。

だから、自分の頭の中に残るものは、人よりも数少ないものです。

 

周りが覚えていることを何一つ覚えていない、思い出せないことが日常に当たり前のように存在します。

 

思い出せない''それ''は、自分をよく苦しめます。

思い出せない''それ''は、よく私の首を締めます。

 

頭の中で思い出せないことを責め立てる自分がいます。思い出せないことを悪い事だと否定する誰かの考えに私は無意識に賛同しました。

 

私に忘れられた人は、皆傷つきます。

私はその度に、傷つけたその罪で自分を亡きものにしようとします。

傷ついた人のせいではなく、忘れた自分のせいだと言い張り、そう断言して、

私は自分に苦しめられている。

 

文字にしてみて、なんと馬鹿な者だ。と今思いました。くっきりと自分のことを形にして客観視し、いまやっと思えたことがあります。

 

自分が自分を苦しめてどうするのだ。

それを望む人もいるけれど、それを望まない人もいる。

 

私を大切にしてくれてる、大切だと言ってくれる、思ってくれている人に、失礼すぎる行動だと、恥じました。

 

自分を大切にできないと、その自分を大切にしてくれている人をも大切にできない。

 

やっとその意味が理解できた気がします。

分かっていた。けれど、理解できていなかった。

 

それは当たり前だ。と言われたらそれまでだけれど、人が当たり前だと思えることが、当たり前なものだと認識できない自分がずっと居たのです。

 

見えていなかった。

ずっと、ずっと、私は何も見えていなかった。

 

私の存在を大切にしてくれている人。

私が私でいることを大切にしていてくれている人。

私を肯定してくれている人。

私が大切なことに気づけるように教えてくれていた人。

私が気づかないところで私を支えてくれていた人。支えてくれている人。

 

気づけたのは、私の力ではないし、気づいてもまた忘れるかもしれない。

 

それでも、気づけたことは大きな意味を持ってるのかな。

 

2018年終わりの最初で最後の一日。

2019年始まりの最初で最後の一日。

 

とても良い二日でした。

 

今年は、2018年に掴めたものを全てを生かして何かを創って、何かを見つけて、今までのことも、今流れてる時間も未だ来ない日のことも大切にできる年になるといいな。と思います。

 

 

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もしも、ここまで長い文章を読んでくれた方がいるなら、読むのお疲れ様でした。

読んでくれてありがとうございます。

どうか、2019年が良き一年になりますように。

 

次はいつ書けるか分かりませんが、その時も読んでくれる人がいたらいいな。なんて思いながら、この長文が、未来の自分が読んでも、言葉が生きますように。

 

白波 ゆめ